世界の起源 その1
問題は、この虚無、足元にぽっかりと空き、いつしか黒々と広がってしまったこの虚無をどうするのか。このまま見て見ぬふりをするのか。しかし、見て見ぬ振りをしてやり過ごすには大きくなりすぎた。しかも「この」という指示語を使い言及してしまった以上、それはもはやできない。私のゴーストの、いつかこれに飲み込まれてしまうという怯えが私にこれを書かせている。英語の shadow は影という意味であるが、また同時に「〜につきまとう」という他動詞でもあり、まさにこのシャドウの如く、私に付きまとい離れない。昼間、明るく太陽が頭上にある時は小さいが、しかしふと気づけば必ず私の足元にぽっかりと口を開けている。しかも、周囲が明るければ明るいほどそれは恐ろしく暗く深い。周囲を意識から遮断し足元だけを見つめていると、自分が宇宙の何も無い空間に浮かんでいる錯覚さえ覚える。黄昏ともなれば、それは私を闇に誘うかのように、光のない方向に長く長く伸びていく。だがけっして私から離れない。夜になれば、ひりひりするような明るさの、人工的な空々しい言葉と物たちに切り取られたこの空間の外に、恐ろしいほどの無が広がる。恐る恐るカーテンを少し開け、外を垣間見る。詐欺的な神が急いで、街灯や雲間から見え隠れする月や、整然と並んだ団地の窓の明かりなど、見慣れた夜の光景をしつらえる。だが私は知っている、それはすべて紛い物であることを。
以前私は、このブログで『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』と題して、ゴーギャンの絵画と人生を取り上げた。そのブログタイトルは、1897年にゴーギャンがタヒチで描きあげた作品であり、彼はその直後自殺を図っていて、謂わばそれはその時の彼の遺書代わりであったと言われる。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』・・・人生や自己の存在の意味、または人類やこの宇宙が存在することの意味、意義といったものを、猿のレベルを超えて少しでも考えてみたことのある者であれば、一度は思いを馳せたことのある問いではないだろうか。特に、己の無能さと無力感、または自分がこの自分でしかあり得ない現実に打ちのめされ、生まれてきたことの不条理、この凡庸な世間や社会の底知れぬ冷たさを絶えず思い知らされ、なぜ絶えきれぬ苦悩を抱えてまで我々は存在しなければならないのか、根源的な問いを投げかけずにはいられない者にとっては、このゴーギャンの象徴的な絵は、その中に何がしかの意味と答えを求めずにはいられない「何か」を持っている。あるいは「持っている」と見る者に幻想させる。だが、決してその絵を穴の空くほど凝視めてみたところで、たとえゴーギャンがどれほどの芸術家であれ、たかが絵一枚にそのような答えを求めようとする凡庸な魂(ゴーギャンの、ではない。我々の、あるいは、私の、である)には、その答えなどは永遠に得られないだろう、ということは直感的に分かる。
だが、その絵のタイトルの「我々はどこから来たのか?」「我々は何者か?」「我々はどこへ行くのか?」という三つの問いかけのうち、
ただ一つ確かなことがある。それは「我々はどこから来たのか?」
つまり、ここである。
↓
[ お詫び:当初、ここには、19世紀の有名な画家ギュスターブ・クールベの『世界の起源』という絵の画像を掲載していました。それは、後の本文を読んでいただければ分かるように、白布の上に横たわって股を開いた女性の裸体画なのですが、ちょうど頭部、腕、膝下を画面で切り落としたかのような構図で、絵の主題が明らかに女性器そのものだと言える、非常にセンセーショナルな、絵画史上さまざまな意味で大きな意味と価値を持つ絵なのですが、それがFC2によりアダルトコンテンツと判断され、他の記事も含めてブログ全体を非公開とされてしまいました。確かに『世界の起源』は絵画史的には大きな価値がありますが、児童や未成年も含めて誰もがアクセスしようと思えば出来る環境において掲載するにはあまりにも衝撃が大きすぎると私も判断いたしまして、画像を削除するに至りました。また規約等を読めば、アダルト認定を申請すれば掲載の継続も可能なようですが、私としましては『世界の起源』をアダルトコンテンツと分類されるのも大きな抵抗があり、もとより猥褻物掲載自体をこのブログの趣旨としているわけではないので画像を削除いたしました。芸術における猥褻論争は古くからあり、今なお決着がついていない、また永遠につかないであろう問題です。何が猥褻なのか猥褻でないのか、猥褻とは何か、それはその時代や社会の価値観とも深く結びつき、このような芸術を契機に今一度考えることは、大袈裟に言えばこの社会の常識や社会規範を問い直し、私たちの在り方そのものをも問い直す機会にもなります。興味がおありの方は美術書かインターネットでギュスターブ・クールベのこの『世界の起源』がどのような絵画なのか、ぜひともご自分の目で確かめ、そして考えていただければ、ここに『世界の起源』そのものを掲載する以上の意味があるのではないかと思います。]
我々は一人残らず、ここから来たのである。それだけは紛うことのない事実である。
この、深い深い暗い穴から。
しかし、当の本人は、この暗い穴から生まれてきたことをまったく覚えていない。自分が現にこのように存在しているにもかかわらず、何か自己の存在に対する根源的な不信感を拭えないのはそのためであり、すべての哲学、科学、宗教はそこから生まれるといっても過言ではないかもしれない。(かもしれない、である。あくまでも。)
この絵『世界の起源』は19世紀の写実主義の画家ギュスターブ・クールベ(1819年6月10日-1877年12月31日)によって描かれたものである。
彼は、それまでの宗教的伝統的な絵画やロマン主義的幻想絵画の主題や手法を拒否し「天使は見たことがないから描けない」という有名な台詞に象徴されるように、貧しい農民や労働者の姿や日常など、実際に自分に体験し得た生の現実だけを描き、19世紀フランス絵画に写実主義(レアリスム)の大きな流れを導入した。
彼は女性の裸体画もよく描いたが、それはそれまでの神話や宗教をモチーフとした絵画に描かれたような、無毛のつるつるとした、あまりにも理想化された女性の肉体とは異なり、この『世界の起源』のように陰毛や、明らかにヴィーナスをイメージした女性にすら脇毛を描き込んだりと、描いている対象が生身の人間であることをはっきりと示した。また、現代よりふくよかな女性が好まれる当時の基準から見ても明らかに太りすぎ、「こんな醜い女ではワニでも食べる気は起こるまい」と観る者に言わしめたほど醜悪でぶよぶよと太った中年(?)女性の裸体の後ろ姿も描いている。
このような彼の、社会や人間のリアルな姿を重視する、挑発的とすら言える絵画は、神話や聖書の有名な一場面または宗教的歴史的主題を規範とするそれまでの美術史の常識からは大きく逸脱し、絵画の革新者として、後の印象派やキュビズムにつながる近代絵画の始まりに多大な貢献をすることになった。また現実社会においてもクールベは左翼の社会活動化として積極的に活動し、1871年にはパリ・コミューンにも関与し、6ヶ月間投獄されたこともあった。
一介の農民にすぎない一般人の葬儀の様子を高尚な歴史画と同じ大画面に描き物議を醸した『オルナンの埋葬』と、ドラクロワやボードレールからは傑作と賞賛されたものの一般人にはまったく理解できなかった『画家のアトリエ』が1855年のパリ万博で展示拒否されると、それに腹を立てたクールベは万博会場のすぐ隣に「写実主義パビリオン」と名付けた小屋を建て、そこに拒否された作品を展示した。当時それまで画家が自分の作品だけを展示した例はなく、これが世界初の「個展」だと言われている。そしてその個展の目録に記された彼の文章は、のちに「レアリスム宣言」と呼ばれた。
『レアリスム宣言』——「私は古今の巨匠達を模倣しようともなぞろうとも思わない。「芸術のための芸術」を目指すつもりもない。私はただ、伝統を熟知した上で私自身の個性という合理的で自由な感覚を獲得したかった。私が考えていたのは、そのための知識を得る事、私の生きる時代の風俗や思想や事件を見たままに表現する事、つまり「生きている芸術(アール・ヴィヴァン)」を作り上げる事、これこそが私の目的である。」
さて、話を『世界の起源』に戻すと、ポルノやら猥褻画像やらが節度なく至る所に溢れかえっているこの現代においてすら衝撃的なクールベのこの絵だが、この絵に毒々しいまでの生々しさと嫌らしさを与えているのは何かと言うと、それはこの構図とアングルであろう。
モデルはポーズらしいポーズもとらず無造作に、無防備に横たわり、その露わな裸身をクールべは「お前の見たいのはこれだ!さあ見ろ!」と言わんばかりに描いている。しかも嫌らしく膝下から下腹部を舐めあげるように。この絵の意図が、女性の裸身の美しさを美的対象として讃えるのでもなければ、自ら愛する女性の女性性を崇敬するものでもないことは、あたかも一人の裸の女性を四角い額縁状のナイフでその頭部と膝下を切断し、そのトルソーを白布の上に転がしただけかのように描いていることから明らかである。そして、左の乳房は白布で覆われ、右のそれもかろうじて乳首が見える程度に下乳だけを露わにし、それはそれで得も言われぬエロチシズムを誘うのだが、それはともかく、その構図とアングルからは、裸婦ではなく女性の局部そのものが絵画の主題であることは間違いない。現代と違い視覚的媒体または娯楽などほとんどなかった時代、それが美術界にとって、または社会全体にとってもどれほど衝撃的であったかは察するに余りある。クールべはもっとロマンチックなヌードも描いているが、この『世界の起源』が彼の目指すレアリスム絵画の一つの到達点であり、この時代のリアリズムの極北であったと言えよう。
頭部が切り落とされ、描かれていないのは、あまりにセンセーショナルな絵画ゆえモデルが特定され誹謗中傷されるのを防ぐためだったらしいが、そのためモデルが誰であるのかは永らく謎であった。研究者たちは、クールベの愛人であったアイルランド人モデルのジョアンナ・ヒファーナンではないかと考えてきた。しかしヒファーナンが燃えるような赤毛であったのに対し、本作のモデルの陰毛が黒々としていることから、ヒファーナン説には疑問の声も多かった。それが2018年ついに一人の仏歴史学者クロード・ショップによって、モデルの正体はパリ・オペラ座バレエ団の元バレリーナであり高級娼婦であったコンスタンス・ケニオーであることが明らかにされた。
クロード・ショップは、『三銃士』『モンテクリスト伯』で有名なアレクサンドル・デュマの息子で自身も小説家劇作家であるアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ『椿姫』で有名)がジョルジュ・サンド(ショパンの最愛の女性として有名)に宛てた手紙の写しを調べていて、どうにも納得できない箇所にぶつかった。そこには次のように書かれていた。「どんな筆をもってしてもパリ・オペラ座のミス・ケニオーの繊細な『インタビュー』は描けない。」インタビューを描く?どういうことだ?ショップは手紙の写しと原本を比べ「インタビュー(interview、仏語でアンテルビュー)」が「秘部」を意味する intérieur(アンテリユール)の写し間違いであったことを発見する。その箇所はデュマ・フィスが、女性器を露骨に描いたクールベの芸術を批判するくだりだったのだ。
当時ケニオーはオスマン帝国(現在のトルコ共和国)前外交官ハリル・ベイ(ハリル・シェリフ・パシャ)の愛人であった。そのパシャこそが、私的に楽しむ官能的な絵画収集の一環として、『世界の起源』の制作をクールべに依頼してきた人であった。ドミニク・アングルの有名な『トルコ風呂』も彼のコレクションであった。彼は『世界の起源』を緑の布で覆い隠し、時折り訪問客に見せていたという。
そのハリル・ベイは賭博の膨大な借金を精算するため自己のコレクションを売り払い、その時、この『世界の起源』も売りに出されてしまった。その後、持ち主は転々とし、第二次世界大戦の末期、ソビエト軍に略奪されたが、熱心な一人のコレクターがこの絵だけはと、略奪された物にわざわざ代価を払い、パリに持ち込み、オークションにかけられ、最終的に有名な精神分析学者であり哲学者のジャック・ラカンの手に渡る。ジャック・ラカンはシュルレアリスムの画家であり義兄のアンドレ・マッソンにこれを隠すための絵と二重構造の額縁の製作を依頼した。マッソンはシュルレアリスム版『世界の起源』を描いた。ジャック・ラカン没後、この作品はオルセー美術館に譲渡され、今なお見る者の目を、心の目を、挑発し、動揺させ続けている。
- [2023/02/03 01:45]
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裏道なんか誰が行くか!
裏道なんか誰が行くか!
先日買った橘玲の『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』を一日で読み終えてしまった。仕事がそれほど忙しくないとは言え、中身があまりに薄いというか、これまでの焼き回しにすぎない感が非常に強い。一応は前作の『無理ゲー社会』の続編のようだが、発展性が全くなく、お得意のネタを披露しただけの自己満足にすぎない。
現代のこの社会は多くの者にとって、理不尽な親ガチャで生まれ、攻略不能の無理ゲーであるという筆者の主張はその通りであると思う。それは言葉は違えど『言ってはいけない』シリーズの頃から一貫している。しかし『言ってはいけない』シリーズの頃はまだ、綺麗事で覆い隠された残酷な現実を直視し、それを覆い隠そうとする気持ちの悪いエセ民主主義の不毛性を(告発とまではいかないが)暴露し、社会に向けて少しはまともで建設的な提言をしようと努力していたような気がする。
ところがこれは、「裏道を行け」とは言うが、誰に言っているのであろうか?彼はまず、金も能力もない非モテのために、恋愛工学と称して心理学などを駆使しナンパの技術を完成させ成功した(そして彼らにとっての最大の成功である「性交」しまくった)自称Pick Up Artist (PUA)という男たちの例を挙げる。(この非モテ、アメリカでは incel インセルと呼ぶらしい。これは involuntary celibate: 非自発的禁欲主義者の略で、アメリカでは、このインセル達が女性に相手にされないことで社会に恨みを抱き引き起こす無差別殺人が頻発し、大きな社会問題となっている。これはもはや日本にとっても対岸の火事ではなく、昨年8月に起きた小田急線無差別刺傷事件などは所謂インセルによるものである。)だが、もちろん彼らPUAの最終目標は他者との精神的な深い繋がりなどではなく、ただただナンパ→手っ取り早いSEXである。そのために彼らが相手にする女性の多くは自尊心や自己肯定感の低い、メンタルを病んだモデル、風俗、水商売などの女性達であり、その手練手管は極言すれば人の弱味に付け込んだ汚ないやり方であり、それが幸福な結婚生活や心身ともに充実したパートナーシップに結びつくはずがないのは火を見るよりも明らかであろう。(私は何も、風俗、水商売などの女性達とでは幸せになれないなどと言っているのではない。そこのところ、宜しく。)
恋愛工学のお次は金融工学である。彼は、宝くじを引き当てるよりも低い確率で天才的な数学的才能を持って生まれた者が、金融工学で信じられないほどの資産を形成しビリオネアとなった天才たちの例をあげる。しかし、コンピューターと高度な数学を駆使し、巨額の資金を投資することで薄い利ザヤでも莫大な利益を上げるような、今さら感満載のヘッジファンドの話など、そこそこ裕福な者にとってさえ夢物語であり、理不尽な親ガチャで能力にも財産にも恵まれず生まれついた数多くの「下級国民」にとって、どれほどの参考になるというのだろうか?バカにするのもイイ加減にしろ!という声が返ってきそうである。
そしてお次は、これも今さらの自己啓発運動。その起源に関する薀蓄や今では手垢にまみれたマズロー心理学の講釈を垂れた後、彼は、内実は洗脳カルト宗教やスピリチュアルにすぎない自己啓発運動で迷える罪無き、いやむしろ罪と煩悩にまみれた民を騙し、洗脳し「充実した生きがい」に導き、大成功をおさめ大金持ちになった者たちの例を挙げる。そしてそれから筆者は、今はやりのVR、拡張現実やメタバース、人間のサイボーク化の話を始める。これが「何を今さら」の極め付け、本当にバカじゃね? と言いたくなるほど議論の浅い代物。
この辺は映画の方がお得意とするテーマであろう。昔から面白く示唆に富む作品が無数にある。私の好きなところでは、それほど評価は高くはなかったが、ブルース・ウィリス主演の『サロゲート (2009年)』という映画がある。また『惑星ソラリス』の原作者であるスタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議 (1971)』を映画化した『コングレス未来学会議 (2013)』などは、今もてはやされているメタバースの行き着く先がまさに暗澹たるディストピアでしかないことをすでに描き切っていて秀逸である。私の唯一の二次元アイドルである草薙素子が主役の『攻殻機動隊』、これはもう別格。
『サロゲート』は、脳波で遠隔操作する理想化された自分の身代わりロボット=サロゲートが、現実世界で仕事をし、社会生活を営み、恋愛し、セックスまでする(セックスの直接的描写はない)という映画。人間は家で寝そべりながらそれを脳内で疑似体験するだけ。つまりセックスする場合、実際にセックスするのは人間そっくりのロボット同士であり、人間はロボットから送られた電気的信号を脳内で再構成し、すべてを現実さながらにリアルに感じ取るのである。つまり本人は本物のムチムチの女を相手に本当にセックスをしている気分になるのであるが、実際には相手は醜悪な老婆かもしれないのである。向こうにしても同じことで、こちらが筋骨隆々としたイケメンに見えているが、実際には80過ぎのヨボヨボの薄汚ないじじいなのである。相手が魅力的な若い女性に見えているが実際はババアというならまだマシで、ミニスカートでムチムチのその若い女のサロゲートを操っているのが、実際には中年のメタボの変態親爺ということもあり得る。これは吐き気を催しそうであると同時に、哲学的に掘り下げてみると非常に面白い問題にも発展しそうであるが、よくよく考えてみると、結局、夢の中でエッチなことをして夢精するのと大差ないのではないかとも思える。(じゃあ女性の場合はどうなんだ、ということであるが、夢精は女性の場合は稀であるとされているが、最近の研究によると、睡眠中にオーガズムに達する所謂「夢イキ」はごく一般的なことであり、約40%の女性が経験しているという。ただ、普通の夢同様、起きた頃にはほとんど忘れてしまっているだけらしい。)
話がセックスに偏ってしまっているが、それはもちろん私がスケベおやじであるからだが、それだけではなく、人間のセックスは単なる動物の繁殖行為とは異なり、社会的精神的または政治的な面すら含めてあらゆる面で優れて人間的な営みであるからだが、いや、やっぱり、私がドスケベおやじであるからだが、まぁ、これからの人間の未来社会の鍵の一つであるVRやら拡張現実やらメタバースの本質が夢精や夢イキと大差ないというのであれば何とも情ない話だが、その程度のことで済むなら逆にほっとする。しかし果たしてそうだろうか?そうではあるまい。快楽、利便性、嫌な現実からの逃避という理由であまりにも容易く、直接的に五感で体験する世界を譲り渡し、それが常態化してしまえば、何か取り返しのつかない重大な結果に繋がってしまうのではないかという気がする。
もちろんこの現実と云えども100%生の現実などというものはあり得ない。人間が見たり感じたりしているそれは人間の五感によって切り取られた現実の一部でしかなく、たとえば視覚にしても聴覚にしても、その可視領域や可聴領域は非常に僅かな範囲にすぎない。しかも、その僅かなものすら、現実を素直に反映したものではない。脳が勝手に物理世界に存在しない匂いとか色とか音という、脳科学や心理学、神経科学などでクオリアと呼ばれるものを生み出し、それを使って再構成、再創造したものにすぎないのである。(あなたは考えてみたことがあるだろうか?深い鬱蒼とした森の巨木が倒れても、それを音として聞く認識主体がいなければ、激しい空気の振動は存在しても、音などは存在しないことを。)
つまり、この現実自体が究極のところ脳が生み出したVRであり、それを科学やコンピューターによって少しばかり拡張したところで何の問題があろうか?むしろ人類の発展のためもっともっと開発し利用すべきであると考える人も多いであろう。私にしても、VR、拡張現実などのすべてが危ない、すべて禁止せよなどというつもりは毛頭ない。社会に役立つものなら役立てればよいし、切実な需要に応えられるなら応えるべきだと思う。実際、映画の中でサロゲートを開発した科学者は「私のような足が弱い者でも生き生きと活躍できるような社会を作りたかった」という趣旨のことを述べている。だが、映画の中の現実はそれにとどまらず、サロゲートはあらゆる人間に普及し、人間は自分の家にずっと引きこもってサロゲートを操る端末のベッドに寝そべったままで、実際に通りを闊歩し、オフィスで仕事をし、バーで酒を飲みながら友人や恋人と談笑するのはすべてサロゲートという社会になってしまった。そしてサロゲートに反対する集団がサロゲート立ち入り禁止の人間解放区を設立するのだが、、、その後はネタバレになるので、興味のある方は自分の目で実際にご覧頂くとして、話を戻すと、
この現実自体が、脳が生み出した仮想現実ではないかと言われれば、まさにそうなのだが、問題はその「現実」を誰が見せるのか?ということである。
我々を取り巻くこの世界は、荒っぽく言えば、感覚や知覚を通して入力された情報を脳内で処理し、自らの都合の良いように作り上げた仮想的なものに過ぎない。では、処理される前のありのままのその姿とは一体どういうものなのか?古来さまざまな賢人や哲学者が、人間の感覚フィルターの背後に何か人間には捉えようもない世界が実際に実体的に存在することを想定してきた。例えばカントはそれを「物自体」と呼んだ。それは今のところ、これほどの科学の進歩にもかかわらず、人間の認識の遥か彼方にある。いや、そんな筈はない。科学が進歩すればするほど我々は世界の真の姿に肉薄し、やがては人間はその真の姿に到達するに違いない、と仰る方もおられるであろう。遠い未来にはそうかもしれない。だが残念ながら現在のところ人間はこの世界の中で芋虫のようなものである。いやいや、何を言う?!現に我々人間はさまざまな技術を駆使し、物質の究極の仕組みや数十億光年彼方の宇宙の深奥を垣間見ることすらしているではないかと言うであろう。確かにそうである。しかしそれとて人間の感覚に捉えやすいように可視可したり変換しているのであって、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。私が言いたいのは、芋虫にとっては、その僅かに感じ取れる世界が、そして身をよじらせて僅かに動ける世界がその世界のすべてであり、それ以外の世界など存在しないのと同様に、人間にとって知覚し観測し得るこの世界の在り様がすべてである、ということである。ここで問題なのは「芋虫にとっての人間の世界」が人間にとっても、論理的に可能性として存在するはずである、ということだ。しかし残念ながらそれは原理的に可能性として存在しているのであって、決して現実または実体とはならない。なぜなら人間にとっては、世界のこの在り様がすべてであり、他の存り様は存在しないからである。
そうすれば、芋虫にとっての人間に相当する人間にとってのⅩは存在するだろうか?また、存在するとして、おそらく人間よりも高次な存在であるそのⅩの世界もまた、人間同様、あるがままの世界をⅩなりに映し出し再構成した独自の世界にすぎないのだろうか?断定は出来ないが、ただ確実に言えることが一つだけある。人間の認識の遥か彼方にある「あるがままの世界」と呼び得るものが存在するとして(というより、この話はそれが存在することを前提としている。もし存在しないとなれば、話はとんでもなくややこしくなってしまい、私の手には追えない)、そしてその人間よりも高次な存在もまた、人間同様この「あるがままの世界」と呼び得るものの中に生まれた存在であれば、程度の差こそあれ、人間同様その世界はその「あるがままの世界」の一部であり、その認識も有限であるということである。そのXは人間よりも進化した存在であろうが、しかし人間同様、それが内面(としか呼びようがないが)に写し出す世界は、その「あるがままの世界」の一部でしかない。もしそうでなければ、それは世界すべてを写し出し(ということは、そこに世界そのものが丸ごと存在するに等しいということ)、その上、その世界を知覚し認識する主体がそこにつけ加わる、ということであり、部分が全体を超える存在となってしまい、我々人間の論理に収まらなくなってしまうからである(少々荒っぽい議論で申し訳ないが)。
今から約138億年前、量子論的真空の揺らぎにより、この宇宙は突然生まれた(らしい。誰も見たやつはいない)。あるいは、宇宙の膨張率を表すハッブル定数というものがあり、それは現在1メガパーセク(約326万光年)あたり毎秒67.74kmとされているが、テキサス大学の物理学教授である小松英一郎氏らの研究チームは2019年に「重力レンズを用いた高精度な宇宙観測の結果から、ハッブル定数は82.4だと判明した」との論文を発表。それで計算し直すと、宇宙の年齢は138億年より24億年も若い114億年ということになるらしい。いずれにせよ、遠い遠い昔、この宇宙は突然生まれた。そして現在からおよそ46億年前に地球が誕生したと言われている(もちろん誰も見たやつはいない)。それから約10億年後、何やらもぞもぞ動くものが表れた。そいつは明らかに周囲の物質が属する物理法則とは異なる仕方で蠢いている。蠢いているだけではない。明らかにどんどん二つに割れて増殖している。普通の物は、例えば岩でも石でも、二つに割れていったらどんどん小さくなっていって、最後には粒子となり環境中にバラバラに雲散霧消(完全に消えるわけではないが)してしまう。ところがこいつはどんどん分裂していっても小さくならない。と言うことは、その過程で周囲のものを補充しながら分裂しているに違いない。普通の物質はそんな奇妙で器用な振る舞い方をしない、と言うより、出来ない。それは明らかに我々が「代謝」と言う言葉で呼び習わしている活動であった。そのように生命は周囲のものを自己に取り込みながら発達していった。しかし周囲には有毒有害なものもあり、接触するものすべてを取り込む訳にもいかない。取り込むべきかどうかの判別は、取り込む前に物質の化学的特性を大雑把に判別する必要があった。そこからまず嗅覚が発達した。匂いというものは、対象物の化学的特性を大雑把に捉えた、先ほどのクオリアなのである。(一説によると女性が男性を好きになるのは、本人は意織していないが、匂いが決め手になっていると言う。無意識のうちに遺伝子がパートナーとしての好ましい化学的特性を「嗅ぎ取って」いるらしいのだ。)それから嗅覚に次いで味覚、触覚が生まれ、やがて、活動範囲を拡大し、もっと効率的に必要なものを取り込めるよう、周囲の空間を立体的にダイナミックに捉えることのできる聴覚、視覚が発達してくる。このように我々の感覚は、あくまでも結果的にではあるが、環境とその変化に適応し、淘汰を生き伸びるのに有利となるように生まれてきたのである。言い換えれば、我々が見ているこの現実は、その進化と発達の果てに生まれた感覚が生存に有利なように、都合のいい部分だけを我々の脳内に再構成したものにすぎないのである。つまり、それは環境に適応するため脳が生み出した仮想的な現実だと言える。そうであれば、VRや拡張現実など何を恐れることがあろう?その拡張現実とて結局は人間の進化が人間に見せているものではないのか?と。
繰り返しになるが、問題はその「現実」を誰が見せるのか?ということである。現在、その現実を我々に見せているものは、何であろうか?それは、この宇宙、またはその法則、自然の摂理としか呼びようのない、人間のレベルを遥かに超えたものである。それを神と呼ぶ者もいるであろう。私はその呼び方は好まないが、とにかくその自然の摂理または「神」が我々にこの「現実」を見せていると言ってもあながち比喩ではない。では、それには何らかの意図、目的があってのことなのか、単なる偶然の膨大な集積の結果にすぎないのか?一般的に科学は、自然には目的や意志は存在しないとしているが、その答えはまだまだ我々の認識の遥か彼方にある。だが、我々に仮想的な現実を見せるその力が、またはその力の一部が、我々人間の「一部」に委ねられるとしたらどうであろか?そこには必ず「一部」の人間の何らかの意志、意図、または目的が働く。「必ず」である。そこに、我々の現実そのものを生み出した自然の摂理との本質的な違いがある。私の憂慮の大きさがご理解預けるだろうか?
先ほど『サロゲート』と並んでもう一つ『コングレス未来学会議』という映画を紹介した。これも評価はそれほど高くないが非常に奇妙な、興味深い映画である。私は是非とも皆さんに見て頂きたいと思う。評価が低いのは恐らく「ぶっ飛んでいる」からである。ぶっ飛びすぎて付いていけない人が多いのだ。『コングレス未来学会議』では、仮想現実、拡張現実が、電子的技術や身代わりサロゲートを介してではなく、非常に発達した薬物によってなされる。世界を支配する富裕層は豊かな本当の「現実」を文字通り雲の上で享受する一方(はっきりとは描かれてはいないが、それを匂わせている)、大半の者は、薬により五感すべてを乗っ取ったハリウッドのアニメワールドの幻覚の中で、自分の理想のアバターとして生きることで、現実のどうしようもない絶望的な「生きがいの無さ」を埋め合わせている。頭の中はまさにバラ色だが、現実には、薄汚い服を纏い、薄汚い通りを成す術もなくさまよう廃人ごときの存在である。映画は、その夢のようなすべてが可能なバラ色の世界の裏に、薄汚く虚無的な現実の世界があることを、一瞬で鮮やかに見せるシーンがある。それはどんなホラー映画よりも恐ろしいシーンである。『Triangle』という映画の紹介の時にも同様のことを言ったが、監督はこのシーンを撮りたいが為に映画を一本撮ったのではないか、と私には思えるほどである。
私は、時々、いや頻繁に、電車に乗っていると、ふと気付けば車内の全員がイヤフォンをし、スマホの画面を無表情に見つめている光景に慄然とすることがある。しかも(自分も含めて)その人たちは全員マスクをしており、しかも(今年に入って多くなったようにも感じるのだが)車内アナウンスの仕方から、明らかに飛び込み自殺と思える人身事故で電車は止っている。これはもうディストピアそのものではないだろうか?その光景をフィルムに撮り、たかだか数十年前の人々に見せれば、彼らはこれをディストピアを描いた映画のワンシーンだと思うであろう。
話がずいぶん逸れたが(いや、メインはそちらの方だったりするのだが)、橘玲の『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』は、VRや拡張現実、メタバースの話の後、近年流行りのミニマリズムや FIRE などを取り上げるのだが、これが輪をかけて「何を今さら」的な代物なのである。ご存知ない方のために少し説明すると、ミニマリズムとは、20世紀半ばに流行った現代美術や現代音楽のミニマリズムではなく、消費文化に見切りをつけ、生活に必要な最小限の物質だけを所有し、精神的に豊かに生きることを目指す最近流行りのライフスタイルのことで、もう一つのFIREとは勿論「火」のことではなく英語で Financial Independence, Retire Early(経済的自立、早期退職)の略、つまり仕事や会社に縛られない生活を謳歌するために出来るだけ節約に努めコツコツお金を貯め、それを投資で増やし、早期にリタイアすることである。どちらも何だか現代的でお洒落なように思えるが、前者は簡単に言えば、貧乏人は質素倹約に努めなさいというだけのことだし、後者は、何一つ秘策を付け加えることもない、単に昔からある投資の話にすぎない。それを、ミニマリズムだの FIRE だの新しくカッコいい呼び名で呼んでいるだけのことである。そりゃ働かなくてもいいぐらい株やFXで儲けたら、そんなもの FIRE などと呼ばなくても、人にコキ使われる会社勤めが嫌な人ならさっさとリタイアするだろ。当たり前のことじゃないか!まさか橘玲ともあろう人が、株にしろFXにしろ、始めて5年以内に90%以上の人が多かれ少なかれ損を被り退場していくという事実を知らないなどとはとうてい思えないのだが。
恋愛工学、ヘッジファンド、自己啓発運動、拡張現実、肉体改造、ミニマリズム、FIRE・・・一体、こういったものが、この理不尽で不条理な「無理ゲー社会」に苦しむ多くの者にとっての裏道、何らかの解決策、少くとも多少のヒントになると、はたして筆者は本気で考えているのであろうか?「無理ゲー社会」と言えば聞こえは面白おかしく軽妙な感じがするが、実際は、いみじくも筆者自身が『言ってはいけない』シリーズで徹底的に暴露したように、この世での生きやすさ生きにくさは偶然生まれついた家柄と遣伝でほぼ決定されてしまい、不利なものを背負って生まれついた者には、この社会は豊かな幸せを求めることはおろか、生き抜くことそれ自体があまりにも難しすぎて攻略不能な過酷な無理ゲーである。しかも単なるゲームなら幾らでもリセットできるが、このゲームは、現代の日本社会がきわめて不寛容な社会であることと相まって、一度大きな失敗をすればその場で爆死という最高難度の絶望的なゲームなのである。
頭の悪い者に、頭を良くしろと言っても無理である。根気のない者に、根気強く粘れと言っても無理である。機転の利かない者に、機転を利かせろと言っても無理である。頭の回転の鈍い者に、頭の回転を早くしろと言っても無理なのである。この社会が「無理ゲー社会」だと言うなら、そのような者達に不利ばかりを背負わせるのではなく、そのような者達がもっとゆったりと生きることを楽しめる社会とはどのような社会であり、そのような社会を創るためにはどうすれば良いのかを論じるべきなのだと思うが、現代数学を駆使した金融工学?ナンパのテクニック?スピリチュアル?現実逃避のための拡張現実?
この筆者は一体何の為にこの本を書いたのであろうか?名前がそこそこ知られるようになり、一定の固定ファンもつき、何を出してもある程度売れるようになってきたので「先生、反響のあった『無理ゲー社会』の続編をここらで一発どうです?」とかなんとか出版社に言われ、取材ノートから自分のお得意のネタをかき集め、即席で一丁作ってみました、というところであろうか。『言ってはいけない』からの展開に期待していただけに、何か失望感が半端ない。
- [2022/05/07 03:07]
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Triangle Again!
トライアングル 再び!
何も、過去の三角関係がもつれ、女が斧持って復讐に来たのではない(2018年3月2日のブログ参照のこと)。
「TRIANGLE / トライアングル」というタイムループもののシチュエーションホラーである。
監督:クリストファー・スミス、主演:メリッサ・ジョージ、製作:2009年、英豪合作
DVDで最初に見たのは今から7年も前の2015年なのだが(日本公開自体は2011年)、それ以来どこか頭の片隅にずっとこの映画がこびりついていた。そして、2018年3月2日のブログに「Triangle」という別の内容の記事を書いた時、その直後に同じタイトルでこの映画の紹介記事を書くつもりでいたのだが、忙しさにかまけてそれっきりになっていた。だが、どうも私の心はこの映画のことが気になって仕方ないらしい。ブログに何か記事をアップしようかと考えるたびに、私のゴーストはこの映画のことを書けと囁くのである。で、これを機にもう一度見てみた。
結果、これは実にいい映画である。一見B級臭さがぷんぷん匂うが、毎度のことであるが日本のプロモーションの仕方が悪い。特に日本語のサブタイトル「殺人ループ地獄」、これは良くない。B級のお墨付きのようなものだ。だが、それに惑わされないで欲しい。これは誠にいい映画である。傑作とまでは行かないが、かなりの秀作と言ってよい。実際ネット民も Filmarksで3.5、Yahoo!映画 3.5、映画.com 3.4 と、B級臭いこのような映画にしては珍しく、軒並みかなり高評価をつけている。
そして、期待に違わず(たがわず)、実に怖い。
グロや残酷描写はほとんどない。その点に関してはかなりマイルド。死体や殺害シーンはそれなりにけっこうあるが、一部を除き、それほどショッキングなものは少なく、グロ残酷スプラッター系のホラーが苦手な人でも比較的安心して見ることができる。
では何が怖いのか?それは、まさに悪夢のようにループする時間そのものである。先ほど「一部を除き」と言ったが、この映画には有名な、非常に衝撃的なシーンが一つある。突然現われるその光景には心底ぞっとさせられる。観客はその場面で一瞬にして、この映画の持つ底知れぬ絶望と救いの無さを悟ることになる。見る者を恐がらせてやろうという仰々しさは微塵もなく、あまりにも唐突に、しかもあまりにも自然に、意識せず何気なく繰り返す日常の裏の禍々しさというものを、そのシーンは我々に見せつける。見事すぎて芸術的ですらあると言える。監督は、この光景を我々に見せたいがためにこの映画を一本撮ったのではないか、とすら思えるほどである。
タイムループものの映画と言えば、まず挙げられるのが「バタフライ・エフェクト」、また最近では「オール・ユー・ニード・イズ・キル」など、比較的傑作秀作が多いが、大まかに言って二種類に分類されるように思える。一つは、何らかの理由または手段によって過去に戻り、その過去を修正し、その修正による変化を学習することで『現在』をより良いものにしようと悪戦苦闘するタイプ。前述した「バタフライ・エフェクト」や「オール・ユー・ニード・イズ・キル」などはまさにこのタイプ。
もう一つは『現在』に囚われ、『現在』を延々と繰り返す恐怖を描くタイプ。その『現在』のスパンは24時間幅が多いが、その期間は定まっておらず、ある出来事をきっかけに繰り返しが始まるものも多い。中には、ループするスパンが僅か5秒から数十年にいたるまで、登場する全員がまちまちである「アルカディア」という恐怖を描いた映画すらある。いずれにせよ共通するのは、繰り返す『現在』に幽閉され未来に繋がらない恐怖と絶望である。
一つ目のタイプは、現在の悲劇または否定的要素を過去にまで遡り、それを変えることでより良い『現在→未来』を確保したいという人間の普遍的な願望を表しているため、大半の映画鑑賞者はハッピーエンドを望んでおり、そのため(つまり売れるために)作者、または映画の作り手は結末をハッピーエンドにすることが大半である。また、過去に戻り現在を修正することにより恋人を現在の悲劇から救ったり、愛する者との関係を良くしようと試行錯誤を繰り返す類の恋愛ものも必然的に多くなる。概して、必ずしも良い結果に終わらずとも、その繰り返しの試行錯誤から、人生の何か大切なものや教訓を得、最終的にループから抜けだし未来に向かって歩み出す前向きな終わり方をするものがほとんどである。「バタフライ・エフェクト」や「オール・ユー・ニード・イズ・キル」などはその典型であり、他にもビル・マーレイ主演の「恋はデジャ・ブ」や「アバウト・タイム〜愛おしい時間について」などの万人受けする名作が多い。
その前者が陽なら後者は陰。現在という狭い牢獄に幽閉され、ひたすら暗い。未来につながる希望がまったくなく、意味もなく繰り返される現在という軛(くびき)からどうしても逃れられない絶望感しかない。それが後者のタイプ。まぁ、それだけでは映画にならないので、ループの出口を求めて主人公は必死にあれこれ無駄な試行錯誤を繰り返し、閉じられた時間に穴を開けようとするのだが、これは私の独断と偏見なのだが、この手の映画作者はそもそも希望だとか救いというものを念頭に描いていない。そんなもの、どーでもいいのである。身も蓋もないが…。最後に僅かに光が見えたとしても、そんなもの付け足しにすぎない。彼らに関心があるのは、主に二つ。一つは、ループする時問の中に巧妙で精緻な仕掛けやプロットを構築し、観客を感心させたり驚かせることを目的とするもの。これはプロットの巧みさを評価されることを主たる目的としているため、映画の良し悪しはかなりの程度、いかに観客を唸らせるような意表をつく見事なドンデン返しを結末に用意できるかにかかっており、そのため、それがハッピーエンドであるかどうかは大して重要な問題ではない。話の都合上ハッピーエンドが良ければそうするし、そうでなければバッドエンドにするだけのことで、そこに人生の意味も教訓的な意味も何もない。もちろん、鑑賞者がそこに何らかの深い人生の、または哲学的な意味を読み取るのは自由であるし、それが映画だけではなく文学美術音楽含めて芸術全般に触れる楽しさ喜びであり、醍醐味である。一般に作者の意図を離れ、鑑賞者の多様で自由な深い考察を呼び込むことが出来るような懐の深い作品は良作と言えよう。
そして後者、陰タイプの二つ目は、時間が際限なく繰り返し、決して未来や希望に繋がらない絶望的な恐怖そのものを描くことを目的としたものである。これは端(はな)からハッピーエンドに関心はない。と言うのも、ハッピーエンドに終ればその恐怖や絶望の味わいそのものが薄れるからであり、芸術家はそういうことを嫌うのである。また多くの場合、この陰タイプの作者は、自らが生み出す際限なくループする世界を、この得体の知れないシステムの中で生きている我々の、矮小化された終わりなき日常の意味のない味気ない繰り返しの縮図または象徴として描いている。つまり、その90分から120分の圧縮された恐怖と絶望を通して、我々の日常や人生そのものが、意味なく与えられた不条理そのものであることを訴えているのである。陰タイプの一つ目の作者も、プロットの中心にタイムループを据えること自体、そのような主題を意識の片隅に持っていると言えるかもしれない。二つ目との違いは単にテーマ性の濃淡の違いだけであろう。
以上のことから、この陰タイプの映画作者は、観客または鑑賞者に救いを与えることに総じて無関心である。普通、人が映画館に足を運んだりDVDを求めたりしようとする時は、一般に、何らかの癒やしや一時の幸福感または分かりやすいカタルシスを求めているものである。このタイプの映画はそういうことに基本的に無頓着なため、たいていの観客または鑑賞者は烟に巻かれたような、置いてけぼりを喰らったような気分になり、見終った後、充足感よりもむしろ欲求不満を抱くことの方が多くなる。結果、評価はそれほど高くならず、一般的な話題にもなりにくく、マニアの間ではよく知られているが一般には知名度が低いままにとどまるものが多くなる。「L∞P《時に囚われた男》」「ARQ: 時の牢獄」「パラドクス」などがこのタイプに当たるように思える。「ハッピー・デス・デイ」という評価の高い有名なループものがある。これは、自分の誕生日の終わりに無気味な赤ん坊のマスクをかぶった殺人鬼に殺され、殺されるたびに一日が巻き戻り、何度も何度も同じ誕生日を繰り返しそして殺され続けるというもので、一見明らかに陰タイプのように思える。だが、自己中で性格は悪いが生きることにひたすら貪欲で力強いその主人公が、殺人鬼の正体を明かそうと必死に試行錯誤する中で周囲との人間関係を見直し、彼女自身も「良い人間」に変っていくという極めて「健全」な映画で、それ故に一つ目の陽タイプのループものだと言える。
さて、毎度のこと前振りが長くなったが、この「トライアングル」、もちろん陰タイプである。陰も陰、陰々鬱々滅々である。とにかく救いがない。しかし映画として非常に練られており、まずは退屈しない。そんな暗い映画やだぁという御仁も、最後まで画面から目が離せないこと請け合いである。他のタイムループものとは仕掛けが一味異なるのである。単に繰り返すだけではなく、繰り返すたびにおぞましい過去が文字通り死屍累々と積み重なってゆく。そして、その繰り返しの中で「自分」が何人も現れ「自分」を殺そうとする。そして、その繰り返し自体が……。
少し出だしを紹介すると、
自閉症の幼い息子を持つシングルマザーのジェスはある日、友人にヨットクルージングに誘われる。彼女は息子を学校に残したままヨットに乗り込むが、彼女も含め6人が乗ったヨットは、外洋に出たところで突然激しい嵐に遭遇する。その際、一人が海に投げ出され、行方不明となってしまう。
嵐が去り、助かった残りの5人は、完全に転覆したヨットの船底になんとか這い上がるが、このままでは食料もなく、ただ大海原を漂流するだけで、やがて命が尽きるのではないかと絶望しかけたその時、どこからともなく大型の客船が姿を現す。5人は大声をあげ必死に手を振り、その船に助けを求める。甲板から一つの人影がこちらを見下ろしているようにも見えるが、何の応答もない。仕方なく5人は自力で船に乗り込む。
奇妙なことに船内は幽霊船のようにがらんとしていた。言いようのない不安に包まれながら船内を探索している時、一行は、通路の壁に古い写真が掛けられているのを見つける。それはどうやら一行が乗り込んだ船らしかった。その船は「アイオロス」という名前であった。写真の下にその名の由来が記されており、一行の一人がそれを読み上げる。
「風の神で、その子はシーシュポス。岩を山に押し上げる苦行を永遠に繰り返した。」
別の一人が問う。「何をした罰だ?」
そこへ、先に進んでいた別の一人が戻ってきて言う。
「死神をだましてこの世に居座ったの。うろ覚えの知識よ。行きましょ。」
と、その時、近くでチャリンと何かが落ちる音が聞える。明らかに一行以外に誰かがいる。その音の方向に一人が向うと、その誰かは立ち去った後であった。そして、その誰かが落としたそれは、果たしてジェスのものであった。キーリングで繋げられた、ジェスの家の鍵と車の鍵と息子の写真を入れたロケットペンダントだった。
・・・・
これ以上は興を削ぐのでここまでとしておくが、勘のいい方ならある程度の察しはついたことだろう。だが、それが分かっていてもこの映画はあなたを決して飽きさせない。見て頂ければすぐに分かることだが、確かに矛盾も多く、突っ込みどころは満載である。だが、伏線の張り方、回収の仕方など非常に巧みで、途中ダレることはなく、最後までハラハラドキドキするのは確実である。(原理的に見て、タイムリープ、タイムループ、タイムトラベルもので矛盾のまったくないものは不可能であろう。問題は、その矛盾を補って余りある何らかの魅力が、その映画に一体どれほどあるかである。)
ただ、注意して頂きたい。これまで何度も断ったように、この映画は先に私が述べたまさに陰タイプ、しかも第一と第二の混合タイプである。つまり、プロットは非常に巧みで、最後まで飽きさせることはないが、最後の最後、救いがまったくない。文字通り、砂を噛むようなざらざらした気持ちのまま終ってしまう。確かにネットのレビューを見ていても、概して評価はそこそこ高いものの、この映画に低い点をつけている人は総じて、最後に希望がないことや見終って暗いドヨーンとした気持ちになることを低評価の理由に挙げている印象がある。そこが評価の別れ目、この映画を受け入れられかどうかは、まさに、映画というものに何を求めているかの違いであろう。映画.com で「まぁと@名作探検家」さんという方が40点という低評価をつけていて、「哀しみを駆けるコロネ」と題して次のようなコメントをしていた。非常に印象に残ったのでここに記したい。
『私はループものが好きだ。
だが、この映画のループには哀しみしかなかった。
真実を知れば知るほど哀しい。
ループに対して、私の中の勝手なルールとしてはループの中には必ず希望があってほしいし、繰り返す度に脱出に近づいてほしい。
そんな願いがあったのだが、
この作品は全く違った(だからこそ裏切られた気持ちになった)のだ。
通常のループものがドーナツ型だとすると、この映画のループはコロネ型だと思う。
何回も単純に繰り返すものではなく、小さい回転の中を繰り返している様で実は大きな円だったという。
新しいタイプのループになります。
初見で理解しきるのは大変ですので、辛さや哀しみに耐える精神力がある方なら何度か観てみると良いと思います。
間違いなく2回目の方が楽しめるはず!』
(まぁと@名作探検家さん、コメントをここに無断借用して済みません。コメントして直接お詫びしたかったのですが 映画.com にログインする必要があり、やむなくここで謝罪させて頂きます。ただ、あなたのコメントを批判するためにここに掲げたのではないことをご理解下さい。むしろその逆で、あなたのコメントには非常に感銘を受けました。)
まぁと@名作探検家さんは「辛さや哀しみ」と言っているが、それは非常によく分かる。ついでに言えば、その辛さや哀しみが「辛く哀しい」のは、境遇がジェスのそれとは異なるものの、夥しい量の後侮やら失望やら自己に対する怒りやら哀しみを、それこそ「トライアングル」の有名な衝撃シーンのように折り重ね腐敗させながらループする我々の日常が、あまりにも「トライアングル」に描かれた不条理そのものだからである。日常のループの中の過ちは都合良くリセットされずに「死屍累々」と積み重なっていくのである。それが我々の人生である。それでも我々は生きていく。ジェスが最後、再びヨットに乗り込むように。
・・・・・
(ここからは付け足し)もう一つこの映画は、他のタイムループものがほとんど問題にしないテーマを抱えている。それが一つ目のテーマと相伴って、私のゴーストを捉えて離さないのである。それは根源的なアイデンティティの問題。この映画は、アイデンティティそのものに対する不安、その曖昧さをめぐる幾多の誤魔化しに対する罪悪感というか、何かその辺のすっきりしないモヤモヤとした気持ちに対する苛立ちを「やたらと煽る」のである。日本語ポスターのキャッチコピーにもあるように「私が私を殺し続ける」、その2つ目の左右逆の鏡映しの「私」は私なのか、私でないのか…。「トライアングル」で私が私に銃を向けた時、私は一体誰に銃を向けたのか?! 私に襲われる私が、螺旋的にループして、私を襲う私になった時、襲う私と襲われる私は一体他者なのか?自己とみなすべきなのか?最後に私が私を殺した時、私は誰を殺したのか? そもそも、この「私」とは何? 私の世界を映し出す、私の世界の唯一絶対の中心にして、移動するこの視点が「私」というものであるならば、記憶の中の私は私なのか他者なのか?ならば、昨日の私は私なのか他者なのか?この「私」は実体なのか、幻想なのか?
- [2022/02/20 01:21]
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さすらいの二人 (The Passenger)
さすらいの二人
「一つ聞いていい?」
「一つだけなら」
「一つだけ。いつも同じ。
一体何から逃げてるの?」
「後ろを振り向いてごらん」
前回、ゴーギャンのことを「その2」まで書き「その3」を書く予定でほったらかし状態なのだが、もし万が一、その続きを楽しみに待っている方がおられたら、申し訳ない。今のところ書くかどうか、書けるかどうか分かりません。なぜ今ゴーギャンのことなのか、ということなのだが、自分の中でどうしても彼のことを書かずにおれないような切迫感があったのだが(いや、今もあるのだが)、うまく熟しきらず書き出してしまい、なぜか今回は空中分解してしまった。この他愛もない、ごくごく少数の危篤な方を除いて、ほとんど誰も見ていないブログであるが、しかもその記事はほとんどの人には読むべき価値もないものであろうが、私の中では必然性があり、どうしても書かずにはおれない何かが、心の中である程度熟した状態でいつも書いているのだが、ゴーギャンは、その生涯を客観的に書き出したものの、書いているうちにあまりにも自分にとって何かが重すぎて、一体自分は何を書いているのか、何を書いていいのか、分からなくなり、やむなく中断。
という訳で(という訳でもないのだが)今日は映画を一本紹介したい。ミケランジェロ・アントニオーニ監督による「さすらいの二人」という生涯で最も好きな映画である。 製作公開は今から半世紀近くも前の1975年。主演男優は、当時まだ38歳のジャック・ニコルソン。主演女優はベルナルド・ベルトルッチの「ラストタンゴ・イン・パリ」でマーロン・ブランドの相手役を務めたマリア・シュナイダー。
この映画、日本公開時に映画館で見て以来これまで、ビデオやDVDなどで幾度となく見たのだが、つい最近もう一度見た折に「はた」と(漢字では「礑と」と書く。どうでもいいが)ある事に気付いてしまったのである。
それは「この映画を見たために自分の人生はとち狂ってしまったのではないか」という疑いである。
ネタバラシにならない程度にストーリーの出だしを紹介すると、ジャック・ニコルソン演じるデイヴィッド・ロックは国際的に有名な英国人ジャーナリスト。ある国の内戦を取材するためアフリカに来ている。この出だしのアフリカの荒涼とした殺伐な、それでいて何か果てしない郷愁と異国情緒を誘う砂漠の映像が素晴らしい。
ある日、ロックは反政府軍ゲリラに接触を試みるが失敗する。砂漠の中の簡素なホテルに戻ってみると、そのホテルで知り合い、酒を酌み交わし語り合う仲になっていたロバートソンという男が隣室でベッドにうつ伏せになって死んでいるのを見つける。持病の心臓発作らしいその死顔をまじまじと眺め、ロックはロバートソンの顔つきや背格好が自分に非常に似ていることに気づく。そして彼は何を思ったか発作的に、その死体を自室に運び、ちょうど発見した時と同じように自分のベッドに横たえ、パスポートの写真を貼り替え、持ち物や衣服もすべて取り替え、ロバートソンになりすましてしまうのである。そして、ロバートソンの残した手帳に記された予定を辿り、ミュンヘン、ロンドン、バルセロナと旅を始める。
だがその行程で、実はロバートソンがアフリカの反政府ゲリラに武器を提供していた武器商人であることが明らかになってくる。ロバートソンになりすましたロックは成り行きで反政府ゲリラから多額の武器代金を受け取るが、お金を「騙し取られた」ゲリラや政府側の暗殺者らしき人間、警察、そして夫の死に不審を感じた妻のレイチェルなどに追われ始め、そして、ひょんなことからバルセロナで知り合った、建築を勉強しているという、マリア・シュナイダー演じる英国人女学生と「どういう訳か」逃避行を始めるのである。
この映画を受け入れられるかどうかは、まさに最初の出だし、ロックがジャーナリストとして成功した自らの人生を捨て、ロバートソンになり代わってしまうところであろう。そこに何らかのリアリティを見出せなければ、この映画は、人によって感想はさまざまであろうが、せいぜいよくて映像美と独特の雰囲気を楽しむだけの「ふーん、こういう映画もありね」ぐらいの感想で終わってしまうかもしれない。大半は「映画だからね。現実にはそんなことあるわけないじゃん。」「終盤、えっ?という感じで、そこそこ面白かったけどね」と、そんなところであろうと思う。
確かに巷の一般人の映画評などでも、そこに違和感を抱き、映画に入り込めないというようなことを述べる人が多い。曰く、その行動に説得力がない、または、そうするに至った主人公の心の襞がまったく描かれず、必然性が感じられない、等々。カメラは、ゲリラとの接触に失敗し苛立ちながらホテルに戻り、シャワー室に石鹸すらないことに愚痴をこぼす、その淡々とした日常性のごく自然な延長線上に、ロバートソンへのなり代わりのシーンをつなぐ。そこにはロックの内面的な葛藤やそれまでの人生に対する深い疑義を暗示するような、多少なりともドラマチックなものは微塵も感じられない。唯一それをわずかに伺わせるシーンが、うつ伏せになって死んでいるロバートソンを仰向けにし、その顔をロックが間近でまじまじと眺めるシーンである。その時、ロックの脳裏には何が去来していたのか、映画はまったく語らない。
横に死体があり、それが単に自分に似ているからといって、衣服や持ち物を取り替え、その人になり代わってしまおうなどと人は安易に考えたりはしない。もちろん苦しい時、人生に生き詰まりを感じている時など、他人になり代わることを夢想することはある。だがそれは、その境遇を羨ましく思っていたり憧れていたりする人であり、横に転がっている、知り合ったばかりの赤の他人の死体ではないだろう。
だが私には、このシーンは名状し難いリアリティを持って迫ってきた。奇妙な言い方だが、そのリアリティのなさが私に「リアルに」伝わってきた、と言うべきだろうか。日常の現実が私にとってリアリティをあまり伴わない分、この映画の微妙なあり得なさが、妙に懐しく肌にしっくりと感じられるとでも言うか・・。
無慈悲なほど真っ青な空。空に水と生気を吸い尽くされたかのような、どこまでも続く赤茶けた砂漠。ひんやりとした、それでいていつもそばに寄り添っているような、そこはかとない温かみを伴った虚無。意味の無さ。
もちろん、映画の中の、ジャーナリストとして国際的に成功した大の大人と、当時まだ二十歳そこそこの青二才とでは、それまで辿った人生の重みはまったく違っているだろうし、それを捨てるということが含意する重みもまったく異なるであろう。だが、それはこの際関係ない。私はデイヴィッド・ロックに自分を見ていたからである。空っぽの自分を。
ジャーナリストとして国際的に成功した大の大人のそれまで辿った人生の重みだとか、それを捨てるということが含意する重みだとか、そういうものは傍から見る者が勝手に推察しているもので、本人にとっては何の重みもないかもしれない。むしろ監督のミケランジェロは、そういう空っぽの人間、またはそういう人間を通して見た、社会的に意味付けされたものの無意味さを描き出そうとしているようにも思える。
問題は「自分がない」ということである。自分には自分がない。デヴィッド・ロックにも私にも、自分がないのである。空っぽ。空っぽの人間。だから、それはそうなったで至極当然のことなのである。
それはロックがゲリラのリーダー(らしき者)をインタビューするシーンに表れている。ロックはインタビューアーとしての誠実さを逆に問われ、手にしていたカメラを奪い取られ、それを自分に向けられ「お前の内面はどうだ?」と言わんばかりに自分の姿を映し出される。ロックはどう答えていいか分からない阿呆のように、型通りの言葉を繰り返すだけである。
人生の重みだの内面の深みなど、人間的にこの世に存在することの空虚さと無意味さに耐えられない者の、せめてもの飾り付けにすぎない。なぜ私達は生きているのだろう。こんなにも無意味な生に無意味な価値や意味を無理矢理こじつけながら、なぜ生きざるを得ないのか。その無意味さに気付いた時、人間が生きるというすべての営みは、この無意味さからの逃避か忘却の試みにすぎないことに気付く。
(この時、マリア・シュナイダーは、前作の「ラストタンゴ・イン・パリ」の、今なを物議をかもす壮絶なレイプシーンの撮影から受けた心身の深い傷が癒えていなかったと言われる。「さすらいの二人」での終始投げやりで物憂い悲しげな彼女の様子は、演技とは言え、58歳で幕を閉じたその後の彼女の人生を考えさせ、胸に迫るものがある。)
「何が見える?」
「少年とお婆さん。どっちに行くか揉めてるわ」
・・・
「君は来るべきじゃなかった」
・・・
「今度は何が見える?」
「男が肩を掻いてる。少年が石を投げてる。砂も。」
ここは埃っぽい所ね」
・・・
「世の中はおかしなことばかりね。人間も。
目が見えないとぞっとするわね」
「目の見えない男を知ってる。
40歳の時に手術を受け、見えるようになった」
「それで?」
「最初は有頂天になって喜んだ。人間の顔、色、風景。
だが次第にあらゆるものが変った。
世界は想像していたよりも貧相だった。
汚く醜かった。
どこを見ても醜かった。
以前は杖をたよりに横断歩道を渡ったものだったが、
目が見えるようになってからは渡るのが怖くなった。
闇の中で生活するようになり、
家に閉じ籠もった。
3年後に自殺した」
デイヴィッド・ロックと、そのマリア・シュナイダー扮する謎の若い女性が旅するスペインの、ざらざらとして乾いた風景と、虚無的なほどの突き抜けたその空の青さが非常に印象的である。そして、有名な最後の7分にも及ぶカメラの長回しのシーン、それに続く、フラメンコギターの静かな枯れた音色をバックに映し出された夕暮れのシーン以上に哀愁を帯びたエンディングを私は知らない。
(ワンショットで撮られたこの7分にも及ぶ映像、当時、非常に話題になった。皆さんはお気付きだろうか?部屋の中を映していた映像は次に鉄格子の窓の外を映し出し、やがてそれがどんどん拡大し、ついには狭い鉄格子の間をすり抜け外に出る。そしてまた部屋の中に戻ってくる。どうやって撮ったのであろうか?CGなどまったくないこの時代、正真正銘のワンショットである。私はその謎を知っている。昔買ったDVDの特典として、各シーンにジャック・ニコルソンの音声解説がついて、そこで彼がネタバラシをしていたのだ。気になって仕方ない人のために、それをその内、別のブログの記事に書きます。乞うご期待(笑))
- [2022/01/25 01:33]
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我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(その2)
眼鏡をかけた自画像 1903年
ゴーギャンはまさに典型的な破滅型の芸術家であった。そういう人間は確かにいる。どう足掻いても、まるで悪魔に魅入られたかの如くその人生が破滅と絶望に向かっていってしまうタイプの人間。
今日、特に日本などではゴーギャンは、「ヨーロッパの古い道徳や因習に背を向け、南国の楽園に理想の生を追い求めた芸術家」だとか「今でいうサラリーマン的な、型通りの行き詰まった人生に飽き足らず、南国の地に、光に満ち溢れた土着の原初的な生の喜びを追い求めた、放浪の芸術家」などと、その「波瀾万丈で破天荒な」、いかにも芸術家らしい人生をもてはやされたりする。
だが一方で、その彼の生き方や行動には批判的な見方も多い。その第一は何といっても、自分の理想と欲望のため妻と子供を捨てたことである。妻メットは、画家としての彼ではなく羽振りのいい証券マンの彼と結婚したのである。ところが彼は、5人も子供を作っておきながら、最初は趣味でしかなかった絵画に次第にのめり込み、展覧会に入選すると突如「芸術に目覚め」、社会の景気や彼自身の経済状態が芳しくないにもかかわらず、画家としての独り立ちを決意する。そして妻の反対をよそに画業に邁進し、挙げ句の果てにその美しい妻と5人の子供を捨て、1891年4月1日、一人タヒチに渡る。その直前に彼はコペンハーゲンの妻子のもとを訪ねている。そして、それが妻子と会う最後となった。
批判の第二はその性的嗜好である。性的に奔放であるといえば聞こえは良いが、ゴーギャンはおそらく性依存症とも言えるほど性的にだらしなく放埒で、あたり構わず女性と関係を持っていたと思われる。しかもこの記事を読めばすぐ分かると思うが、ペドフィリア(小児性愛)ぎりぎりの病的なほどのロリコンで、現在ならば確実に犯罪者。いや、当時ですらその性癖は反道徳的であり、そうおおっぴらに出来るものではない。その批判の中心は、西洋人という特権的身分を利用して南国の少女を食い物にし、そのいかがわしい性的欲求を満足させていたというものである。実際、2019年から20年にかけてロンドン・ナショナル・ギャラリーで開催された「ゴーギャンの肖像画展」では館内の壁に「ゴーギャンは複数の少女たちと性的関係を持ち、その内の2人と“結婚”し、複数の子供をもうけた」「ゴーギャンは自らの性的自由を謳歌するため、特権的な西洋人の地位を間違いなく利用した」という説明文を掲げ、音声ガイドで「ゴーギャンの作品はもう見るべきではないのだろうか」と、ゴーギャンの作品がはらむ性的差別、人種差別、西洋文化の特権意識などに絡め、美術ファンに問題提起している。
そして第三の批判は、今述べたこととも大きく関係するが、タヒチに対するゴーギャンの憧憬の根底にある、非西洋文化に対する差別的意識と自己欺瞞である。
ゴーギャンがタヒチに強い憧れを抱くようになったのは二つの理由があると言われる。一つは1889年のパリ万博の「人間動物園」。「人間動物園」とは当時ヨーロッパの万博などで人気を博した展示物で、そこではアジア、アフリカ、オセアニアなどの集落や暮らしが再現され、植民地から連れて来られた原住民などが、各地の華やかな民族衣装に身を包み、ヨーロッパ人の目を楽しませていた。最初の方で述べたように、ゴーギャンは幼少期に南米ペルーで暮らしたり、10代の頃から商船の水先人見習いをしたり海軍に入隊するなど、若い頃から異境の地を体験し、それに強い憧憬とロマンを抱いていたことが考えられる。元々ヨーロッパの窮屈な小市民的な生活や生き方に気質的に合わなかったであろうゴーギャンが、パリ万博でタヒチの野生的で自然と融合した土着の暮らしを見て、その地に強い憧れを抱いたのも無理はないであろう。
ゴーギャンがタヒチに憧れるようになったもう一つの理由は、当時ベストセラーとなったピエール・ロティの「ロティの結婚」という小説に感化されたからだと言われる。
ピエール・ロティはその当時のフランス海軍士官で、その航海中に立ち寄った土地の紀行文や、その土地の女性との体験を元にした恋愛小説などで大人気を博した作家で、特に、2ヶ月ほどのタヒチ滞在中に若いタヒチ女性との暮らしを描いた「ロティの結婚」はそのエキゾティズムが大いに受け、フランスのみならずヨーロッパでベストセラーとなった。またロティは二度にわたり日本にも滞在し、その時の経験をもとに短編集「日本の秋」や「お菊さん」「お梅が三度目の春」などの小説を出している。実は「ロティの結婚」をゴーギャンに教えたのはゴッホだと言われている。ゴッホはピエール・ロティの作品の愛読者だった。ゴッホといえば、その当時のモネやドガなどとならんで浮世絵など「エキゾチック」な日本文化や芸術の影響を大きく受けた作家として有名であるので、考えてみれば当然かもしれない。
その「ロティの結婚」の中で描かれた、牧歌的で文明に侵されていない野生的なポリネシアの自然と大らかな人々の暮らし、そして現地の若い女性との目眩く情熱的な楽園生活は、前述したように元々非ヨーロッパ的な異境の地に高い親和性を示す気質を持ち、窮屈で似非道徳的なヨーロッパ社会にうんざりしている当時のゴーギャンにとって、抗し難い魅力と魔力を持っていたことであろう。1890年、タヒチ行きを決意したゴーギャンは次のような手紙を友人に送っている。「ヨーロッパでは、惨めな人々が、寒さと飢えに耐えながら終わりない労働を強いられている。だが遥かオセアニアに浮かぶタヒチに行けば、未開の楽園の住人たちは、人生の快楽のみを知る。彼らにとって生きることは、歌い、そして愛することなのだ。」
だがそのタヒチは、ゴーギャンが訪れた頃にはすでにフランスの植民地となり、押し寄せる西洋の文化と害毒に侵され、本来の無垢な伝統的文化的なタヒチらしさをすっかり失くし、単に西洋人に口当たりの良い異国情緒溢れる見せかけの楽園になっていた。
歴史的にタヒチの人々は、紀元前3000年から4000年頃にユーラシア大陸から東南アジアを経て南下し、広大な南太平洋の島々に進出し始めたモンゴロイドがその先祖であると言われている。その先祖がタヒチを含むソシエテ諸島に定着したのは紀元後3世紀から4世紀にかけて。そこからニュージーランド、ハワイ、イースター島などに拡がり、14世紀ごろまでには、現在ポリネシア・トライアングルと呼ばれる一大ポリネシア文化圏が形成されていった。その後、16世紀から17世紀にかけてこの海域を航行するスペイン船やポルトガル船が漂着したりなどして、ヨーロッパ人が訪れるようになり、次第に彼らの間で「南国の海に横たわる地上の楽園」という噂が広まっていった。
史実として初めてタヒチを訪れた最初のヨーロッパ人はイギリス人航海士のサミュエル・ウォリスで、1767年南太平洋を航海中、風に流されてタヒチに漂着した。一行は島の女王の歓待を受けたが、島民が勝手に船内の物を取っていってしまうことに激怒した水夫たちが島に砲弾を放ち、それに対して島民たちが攻撃をしかけるという事件が起こった。島民の行為は「来訪者の所有物は住民に自由に配布されるもの」というタヒチの慣習なのだが(ウォリスの船を最初見た時、タヒチの人たちはそれを、海に浮かんで漂流する島だと思ったという)、それを知らなかったウォリス達はタヒチを「盗人の島」と呼んだ。争いの和解に乗じてウォリスはタヒチを「国王ジョージ3世島」と命名し、英国領であると宣言する。その翌年、フランスの軍人で数学者で探検家のルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルが、ウォリス達の上陸を知らずにタヒチ島の反対側に上陸し、タヒチをフランス国王領と宣言する。ブーガンヴィルは記録の中で、タヒチを「裸の美しい女性がたくさんいる官能の楽園」と書き、その女性たちを「あたかもフリギアの羊飼いたちに現れたヴィーナスのごとく、この世のものとも思えぬほど美しい肢体を持っていた」などと書いている。こうして「陽光と真っ青な海と自然の恵みに満ち溢れ、半裸の美しい女性が歩き回る地上の楽園」というタヒチのイメージがヨーロッパ人、特にフランス人の間に完全に定着していくことになる。
黄金色の女たちの肉体 1901
だがそれと引き換えに、武器、アルコール、売春、病気、物質主義といった文明の負の部分がタヒチに急速に広まってゆく。特に西洋人が持ち込んだ梅毒、結核などの病原菌は、18世紀半ばごろには推定4万人いたとされる人口を、1881年には約6千人にまで減らしてしまうほどだった。また1797年、1838年には、イギリスとローマのカトリック宣教師団が相次いで入島し、神殿のマラエを破壊、土着の宗教を禁止し、扇情的で非道徳的だという理由でタヒチアンダンスをも禁止し、島民から自分たちの伝統的な文化を次々と奪っていく。その後、フランス・タヒチ戦争を経て1880年にはタヒチ国王ポマレ5世が主権譲渡を宣言し、正式にフランスの植民地となってからは近代的法整備が進み、例えば、それまではお腹が空けばそこらの果実を自由に取って食べられたのが「窃盗」にあたるとされ、処罰の対象となった。こうして、豊かな自然に抱かれ、自然の恵みを皆で共有し合う、大らかで素朴で無垢な、真の意味で文明に毒されていない文化は、ヨーロッパ文明とその植民地主義によって破壊され、そして自らが破壊し蹂躙してきた物に対するヨーロッパ人の都合の良い、欺瞞的な憧憬と幻想の食い物にされたのである。ゴーギャンの描いた半裸または全裸のタヒチの女が身につけていた装飾品は、その多くがヨーロッパから輸入されたものであることが今は分かっている。
もちろん、ゴーギャンがタヒチをそのようにした訳ではない。その責めをゴーギャンに負わせるのは酷である。批判の中心は、タヒチに対する彼の憧れと行動の根底に横たわるものである。窮屈なヨーロッパ社会に満足せず、文明に根本的な疑義を抱くゴーギャンは、書物などを通して伝え聞く夢物語のようなタヒチの原始的で野蛮な生活に自らの理想を見た。だがそれがどのような構図の上に成り立っていたのかを象徴的に物語るのが、タヒチに渡航する際その旅券を彼は、植民地を統治する宗主国フランスの国民の特権として3割引きで購入したことである。彼はその旅券でタヒチに渡り、その憧れの地がすでにヨーロッパの文明に毒され、未開の地に求めるヨーロッパ人の幻想と差別意識、優越感の上に成り立っている虚構の楽園と化していることに、非常な憤りを抱いていたらしい。しかしその彼もまた、白人特権として「供与」される形で、若い、幼いと言っていいほどの現地妻を、次々と手に入れているのである。それが誰の目にも許し難い大きな自己欺瞞でなくて一体何であろう?つまり、その他多くの白人男性のように、彼が抱くタヒチに対する憧れは、憧れといえば聞こえはいいが、、同じ人間に対する基本的な同じ人間に対する基本的な敬意を欠いた、「未開」人に対する西洋人の根深い優越西洋人の意識に支えられたものであり、窮屈な西洋の文明社会に溶け込めない肥大した自我と、ペドフィリアぎりぎりの病的な欲望を満たす単なる捌け口であった。言い換えれば、憧れのタヒチの自然や文化やその女性の「無垢」は、大切にする対象ではなく、西洋文明がこれまで「周辺」に対して常にそうしてきたように、蹂躙する対象でしかなかった。それを象徴的に物語る文章をゴーギャンは書き残している。彼の自伝的随想であり、タヒチ滞在記でも「ノアノア」の原稿の余白に、彼は次のように書き残したという。「目が穏やかな女をたくさん見た。私は、彼女たちが一言も発することなく、抵抗することもなく、乱暴に犯されるのを望んだ。それは強姦することへ切望とも言えるだろう」また、友人にあてた手紙にも次のように書いている。「ただこの場に座り、煙草を吸って一杯のアブサンを飲むことは、私の毎日の至福である。私には15歳の妻がいて、彼女は私の食事を用意し、私が望めばいつでもベッドにその背中をつけて、私を迎え入れてくれる。その代償として私が彼女に与えるのは、僅か10フラン相当の衣服である。」
妻と5人の子供を捨てたこと、犯罪的とも言えるほど性的に放縦だったこと、そして素朴で原始的な文化に対する憧れに隠された、西洋人としての欺瞞的な優越意識。ゴーギャンの芸術と人生の根底にそういったものがあったことを考えると、とても手離しで彼の残した絵画を賞賛することはできなくなる。(その3に続く)
- [2021/09/17 19:58]
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我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(その1)
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 1898年
後期印象派を代表する画家ポール・ゴーギャンの最も有名な絵に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1898年)という絵がある。本人いわく「ヨーロッパ文明と人工的・因習的なものすべて」に疑念を抱き、反文明的で野生的な素朴な生活に憧れ続けたゴーギャンは晩年、彼にとって憧憬の地であるタヒチを二度にわたって訪れる。そして最後は、ヨーロッパから遠く離れたマルキーズ諸島ヒヴァ・オア島で、経済的身体的精神的苦境のどん底で、誰にも看取られず、一人その生涯の幕を閉じる。それは、放埒で波瀾万丈な、そして反道徳的で身勝手な彼の人生の最後に相応しいものであった。
ゴーギャンは1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和主義のジャーナリストのクローヴィス、母アリーヌはペルー生まれの女権拡張論者で社会主義者のフローラ・トリスタンの娘で、ともに急進的な考えの両親のもとに彼は生まれた。この年、ナポレオン3世が政権を握り、その迫害・弾圧を逃れ一家は、アリーヌの大叔父の、富豪でペルーのリマの副王であるトリスタン・デ・モスコソを頼り、南米に赴く。その船上で、父のクローヴィスは心臓発作で死んでしまうが、リマに渡った母アリーヌとゴーギャン、そして1歳年長の姉マリーの3人家族はそれから6年間、リマの親戚に温かく迎えられ、使用人付きの恵まれた豊かな生活をする。しかしゴーギャン7歳の時、ペルーで市民戦争が起こり、リマの親戚は権勢を失う。それとほぼ同時に父方の祖父ギョーム・ゴーギャンが死亡し、その遺産相続のため一家はフランスに帰国。父の故郷オルレアンに行き、イジドール伯父の世話を受ける。その後、彼はフランスのいくつかの学校や神学校に通ったのち14歳の時、海軍予備校に入学しようとするが試験に失敗、商船の水先人見習いとして世界中の海を巡った。20歳でフランス海軍に入隊し、2年勤め普仏戦争などにも参加する。その航海中に彼の母親は死んでしまうのだが、母の愛人であった、資産家で美術品コレクターのギュスターヴ・アローザが彼の後見人となり、その彼の紹介でパリ証券取引所に職を得、株式仲買人としてかなりの成功を収めることになる。そして1873年にデンマークの美人女性メット=ソフィー・ガッドと結婚、その後、二人の間に5人の子供、エミール、アリーヌ、クローヴィス、ジャン・ルネ、ポール・ロロンをもうけた。
ゴーギャンが絵を始めたのはその頃であった。1873年、証券取引所の同僚に勧められ画塾に通い始めたのがきっかけである。この時、彼は25歳。彼の後見人のアローザは素晴らしい絵画コレクションを有し、彼の家には著名な画家が多数出入りしていた。また、彼の住むパリ9区には画廊や印象派の画家が集まるカフェも多く、そういった事情が、彼の奥底に眠っていた画家としての魂を呼び覚ましたのであろうか。いずれにせよ、世に傑作を残す偉大な天才画家の多くが、幼少の頃より絵の訓練を始め、早い時期からその天才ぶりを発揮しているのに比べると、ゴーギャンの場合、その画業の開始はかなり遅く、例外的とも言える。しかも最初は趣味の日曜画家程度にすぎない。それが、印象派の有名な画家カミーユ・ピサロの教えなどを受けながら、絵画の修行開始からわずか3年後の1876年には、サロン(フランス芸術アカデミー主催の公式展覧会、官展)に応募した絵画の一枚が入選を果たし、後に次々と傑作を放ち、ゴッホ、セザンヌ、モネ、ルノアールなどと比肩しうる名を後世に残すのであるから、絵描きとしての天分は相当のものだったにちがいない。
だが、その天分を追求することは、また同時に、パリの華やかな暮らしや妻子を捨てることでもあった。1882年、フランスの貿易赤字に端を発したユニオン・ジェネラル銀行の破綻により、パリの株式市場が大暴落。フランスは大不況時代に突入する。株式仲買人として裕福な生活をしていた彼の収入も激減。また、その不況の影響は絵画市場にも及び、それまでそこそこ買い手がついていた彼の絵もまったく売れなくなってしまった。ところが彼は、経済的に先行き不透明な中、妻と5人の子供を抱え、賢明な家庭人としてそれまで以上に堅実な生活を送るべきであるにもかかわらず、なぜか画家として一本立ちする決心をする。当然妻は猛反対をするがゴーギャンは絵を捨てられず、一家は経済的に困窮を強いられる。その後、一家は生活を立て直そうとパリから生活費の安いルーアンに移り住むが、それでもうまくいかず、結局妻メットはコペンハーゲン(デンマーク)の実家に帰ってしまう。ゴーギャンもコペンハーゲンにまで家族を追っかけ、そこで防水布の外交販売などを始めたりするが、それも結局うまくいかず、パリに戻るものの画業は精彩を欠きさらに苦難の生活を強いられる。
その後、彼は知人に誘われパナマやマルティニーク島を旅する。彼の画風が、それまでの西洋絵画の伝統や印象派の繊細な洗練されたものに背を向け、晩年の作品に繋がるような、くっきりとした輪郭、野生的で、原色をべったり塗ったような大胆な色使いと構図、そして神話的象徴的な主題へと大きく変わっていくのはこの頃である。マルティニーク島から帰ったゴーギャンは、パリの画廊に展示されたマルティニーク島での作品を見て感銘を受けたゴッホの誘いに応じ、南仏アルルの有名なゴッホの「黄色い家」で彼と共同生活をし始める。その当時の絵画の主流である正統派印象主義に背を向けたかのようなゴーギャンの作品を見て、ゴッホがいかに感激したかは想像に難くない。だが、9週間に及ぶその共同生活も、芸術論の激しい対立から終わりを告げ、ゴーギャンはゴッホのもとを去る。その時、絶望のあまり激情にかられたゴッホが自らの左耳たぶを切り落としたことは、つとに有名な話であろう。そしてその後、紆余曲折を経て、1891年、妻の反対を押し切り、憧れの地であったタヒチへと一人旅立つのである。
果実を持つ女 1893年
タヒチでは13歳の若い、幼いと言ってもいいほどの年齢の妻をめとり、その彼女をモデルに多くの絵を描いた。そのタヒチでの生活は最初こそ、彼の望む、退屈で虚飾に満ちた文明から隔てられた、原始的で開放的な生と性の快楽に満ちた楽園の生活であった。だが、すぐに金が底をつく。そしてタヒチで描きあげた絵を携えて1893年に一度パリに戻る。だがパリでのゴーギャンは、異国帰りの画家としての、そのエキゾチックな絵画が世間の注目を大いに浴びたものの、そのますます大胆で力強く鮮烈になってゆく構図や色合い、そしてその筆遣いで描かれた非西洋的で神話的象徴的な画風は、当時のパリの美術界や画廊、またはますます洗練度を増してゆく印象派のメンバー達の理解を得られず、その絵はほとんど売れなかった。失意のうちに、1895年に再びタヒチに舞い戻ることになる。
二人のタヒチ女 1899年
タヒチに戻ったゴーギャンは、そこでもまたパウラという当時14歳の少女と結婚し、二人の子供までもうける。しかしその二度目のタヒチ滞在は彼にとってはやはり幸せなものではなかった。パウラとの間にもうけた二人の子のうち女の子は産まれてまもなく死んでしまう。その上、膨れ上がる借金、心臓病やら梅毒、以前患った足首の骨折の悪化などの様々な病魔、そしてデンマークに残した愛娘アリーヌ(彼の母親と同名)の死の知らせなどにより、彼は失意のどん底にあった。その中で描きあげられたのが、冒頭で述べた『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』である。その絵は、それまでのヨーロッパの印象派の洗練された手法に背を向け、重厚な輪郭線で区切られた単純で平面的な色面を強調し、そこに象徴的神話的なテーマを盛り込んだ、彼の絵画の集大成であり、なかば遺書のようなものであった。彼はこう述べている。「これは今まで私が描いてきた絵画を凌ぐものではないかもしれない。だが、私にはこれ以上の作品は描くことはできない」。彼はこの絵を書き上げた後、ヒ素による服毒自殺を試みている。
だが結局死ねなかったゴーギャンは1901年、タヒチ滞在の頃から憧れていたマルキーズ諸島ヒヴァ・オア島を終の住処と定め移り住む。タヒチでの妻パウラはついて来なかった。彼はまたもや14歳の少女ヴァエホを妻にし、「メゾン・デュ・ジュイール(快楽の館)」と名付けた二階建ての家を建て、自身の快楽と芸術活動を追求する。だがその最晩年は、現地の司教と揉め事を起こしたり、役人の汚職や無能力を批判し名誉毀損で訴えられたりと、決して穏やかなものではなく、また妊娠中だったヴァエホも故郷の村に戻ったきり帰らず、モルヒネに頼らなければならないほど悪化した健康状態の中、1903年5月8日の朝、彼は誰にも看取られないまま息を引き取った。死因は心臓発作、梅毒によるもの、またはアヘンの過剰摂取による自殺などと言われているが、現在も不明。(その2に続く)
- [2021/09/17 17:27]
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アデュー 1979年(昭和54年)
アデュー 1979年(昭和54年)
米中国交正常化。鄧小平とカーター大統領。
鉄の女マーガレット・サッチャー、英国首相就任。先進国で初の女性首相となる。
米スリーマイル島原発事故。
イラン、米大使館占拠事件。
ソ連軍、アフガン侵攻。
ソ連・アフガン戦争はその後長期化し、ソ連の完全撤退まで10年を要する。その間、死者はソ連側で14,000名以上、アフガン側でその数倍にも及び、ソ連のベトナム戦争と呼ばれた。
国内では、初の国公立共通1次試験。第二次オイルショック。
1月26日、単独犯の梅川昭美が強盗目的で大阪市住吉区三菱銀行北畠支店に侵入し、客と行員合わせて30人以上を人質に取って立てこもり、警察官2名、行員2名を射殺するという人質籠城事件が発生。籠城は3日間に及び、28日、警察による梅川の射殺で事件は幕を閉じた。
そして1978年から79年にかけて巷ではインベーダーゲームが大流行。ゲームセンターだけでなく多くの喫茶店に、テーブル代わりにゲーム機が置かれ、子供も大人も日本中の人々が熱狂した。あまりの人気ぶりに、ゲーム代の売り上げの方が飲食代よりも多い店が続出、またそのために100円玉が不足するという神話まで生み出した。
その頃私は持ち前の自堕落な性格ゆえ、大学を中退、いや学費未納で除籍処分となり、知人のアパートや半ヒモ状態で女のアパートに転がり込んだり、行くところがなくなれば、住み込みの新聞配達をしたりと、完全に人生を捨てた、でたらめでいい加減な、無責任極まりない、文字通り自堕落な根無し草の生活を送っていた。女にも友人にもかなり金を借りていて、今でも踏み倒しっぱなしになっているものもある。ごめん。
ある時、小さな町工場のような印刷所で1日12時間以上アルバイトをしていたことがあった。そこの主人は、若い頃(本人いわく)ヤクザをしていて、その後足を洗い(一度見せてもらったが、確かに筋骨隆々の肉体には、昔対立していた組の組員に刺されたという痛々しい大きなナイフの傷痕があった。ま、これも本人いわく、なのだが)、それから結婚し苦労して金を稼ぎ高価な機械を買い、下請けでオフセット印刷の校正刷りをしているという、怒らせると恐いだろうなぁ、と思わせる、でもいつもニコニコ非常に優しい(奥さんがとても可愛いせいもあったのだが)人であった。
その人柄の良さや、「あんたっ、どこまでも付いていくわ!」的な可愛い綺麗な、すごく優しい奥さんと、そしていつもインクの匂いのする、こじんまりとしたその空間がとても居心地が良く、望まれるがままに長時間働いていた。壁の棚に置かれた小さなラジオからはいつも、その時々の歌謡曲が流れていた。
そして、ある時そのラジオでふと耳にしたのが、庄野真代の「アデュー」であった。
私はその当時、まだ20代前半。その後、人生の中で、ひとえに自分の愚かさによる取り返しのつかない別れを何度か経験するのであるが、それは後の話。その当時はまだ、単なるちゃらんぽらんのケツの青い、アホなガキ同然の人間(それは今だに本質的には変わっていないのだが…)。だが、その「アデュー」を聴いた時、私は不覚にも泣いてしまったのである。
亜津子との関係がいよいよのっぴきならぬ状態に追い込まれ、愚かにも駆け落ちを敢行、無惨な失敗に終わる、その1年ほど前のことであった。
『アデュー』(作詞作曲:庄野真代)
あの日 待ち続けてたの
ほんとよ 沈む夕日の中
まさか同じこの街で あなたと
出逢うなんて不思議ね
若くはないわ もう昔のように
心が揺れても きっと飛び込めはしない
そうよ 違う人生を夢見た
二人だから哀しい
熱い言葉もなく 今
私は告げる さよならアデュー
そっと差し出すその手の ぬくもり
あなただった あの日の
分かっているわ だから
何も言わないで このまま見送るわ
あなたの後ろ姿
深いさみしさに負けて あなたを
忘れたんじゃないのよ
若くはないわ でも昔のように
抱きしめられたら
すべてを捨てた きっと
あの日 待ち続けてたの
ほんとよ 沈む夕日の中
- [2021/04/09 01:07]
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CONTAGION
昨今のコロナ禍のせいで、今から9年前、2011年上映の映画が再び脚光を浴びている。ご存知の方も多いと思うが「Contagion(コンテイジョン)」という映画である。Contagion というのはずばり「感染」という意味。この映画、あまりにも現在の新型コロナウィルスの全世界的流行をぴったりと予言したかのような内容で空恐ろしいとネット上で話題となり、現在 Netflix, U-NEXT での人気ランキング1位を筆頭に、その他 Amazonプライム, Hulu などの動画配信サイトでも軒並み2位か3位という人気ぶり。
監督は「セックスと嘘とビデオテープ」「エリン・ブロコビッチ」「トラフィック」「オーシャンズ 11〜13」などで有名なスティーブン・ソダーバーグ。キャストはマット・デイモン、マリオン・コティヤール、ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ、ケイト・ウィンスレット、グウィネス・パルトローという錚々たるメンバー。だが、この映画、当時はそれほど振るわなかった。ちなみに2011年の洋画の全世界興行収入トップ3といえば、1位「ハリー・ポッターと死の秘宝 part2」2位「トランスフォーマー / ダークサイドムーン」3位「バイレーツ・オブ・カリビアン / 生命の泉」で、それぞれ興行収入は1位から $1,324,940,326、$1,117,516,277、$1,039,511,325 なのだが、この「Contagion」は $135,458,097 で、ハリー・ポッターの10分の1にすぎない。日本にいたっては「ハリー・ポッターと死の秘宝 part2」が96.7億円なのに対し「Contagion」は約3.7億円であり、26分の1にすぎない。
監督は名監督であり、役者も有名俳優揃いであったにもかかわらず、なぜ受けなかったのか?ずばり、内容が真面目すぎるのである。当時は内容に対して評価は高かったが(特に専門家や医学関係者には、科学的考証がしっかりしていて、非常に評価が高かったらしい)、実際に見た多くの人の感想は、退屈だったというものである。確かに多くの感染病パニック映画やパンデミックものと違い、ド派手なシーンや展開はまったくなく、けっこう淡々と進む。しかしこの映画、現在見ると本当に恐ろしい。ある意味、どんなホラー映画よりも恐ろしいと言える。
物語は香港帰りのグウィネス・パルトローが自宅で突然倒れ、夫のマット・デイモンが付き添う病院先で死亡。そしてその帰宅途中のタクシーで、自宅に残した息子を世話するベビーシッターからケータイで突如息子が死んだという悲報を受けるという悲劇的な出来事で幕を開ける。その後の展開は実際に見ていただきたいが、その描き方は映画としてのエンターテインメント性を最低限に保ったまま、冷徹なリアリズムに徹している。私とすれば、CDC(アメリカ疾病予防管理センター:細菌もののパニック映画などでは必ず登場する、実際に存在する世界一と言っていい感染症対策総合研究所)の職員などが必死になってその感染源やウィルスの特性を突き止め、そしてワクチン開発をしていこうとするその描き方はリアリズムに徹しながら、さすがスティーブン・ソダーバーグ、並のミステリー映画やホラー映画よりも百倍手に汗握る素晴らしい出来栄えだと思うのだが、当時の社会はそう思わなかったようである。まあ、映画としての好みの問題もあるが。
この映画の優れたところは、CDCが感染源を突き止めていくその過程のリアルさだけではない(いかに感染経路を突き止めるのが困難か、それは昨今の「東京の新規感染者の7割が感染経路不明」などという報道でも明らかであろう)。監督は、何かに触れる感染者の手元を執拗にクローズアップすることで、目に見えないウイルスの恐怖を可視化する。そして、病原菌パニック映画がすぐに、病気の蔓延で各地に暴動が起こり、街があたかも爆撃を受けたかのように荒廃した光景を描きたがるのに対し、「恐怖は、ウイルスより早く感染する」(英語では Nothing spreads like fear)というそのキャッチコピーそのままに、不安と恐怖に侵され、デマや陰謀論に振り回されていく社会をじっくりと描く。それと、もう一つ、この映画には優れたところがある。他のパニック映画が、ワクチン開発がなされたところで目出たし目出たしハッピーエンドとなるのに対し……、まあ、これ以上話すのは無粋なので、興味のある方はご自分で見てもらおう。
この「Contagion」、私は2011年の上映時に、美帆という女と実際に映画館で観た。彼女は当時付き合っていたキャバクラの女である。少し前の「Replay(リプレイ)」という記事でこの美帆という女のことを書いているので、興味のあるお方はそちらを読んでいただければと思う。彼女とはよく一緒に映画を観に行った。「Contagion」の他に「ドラゴンタトゥーの女」とか「ダークナイト・ライジング」とか。彼女自体はディズニーとか軽い恋愛ものが好きだったのだが、無理やり私の好みに付き合わせていたのである。観終わったあと、しきりに「こわーい、こわーい、こわーい」と連発していた。その後、残念ながらすぐに彼女とは別れてしまい、彼女はキャバクラを辞め、これまで音信不通だったのだが、突然二、三日前メールが入ったのである。簡単に内容を記すと「しばらく〜!びっくり!世の中、あなたと観に行ったあのコンテイジョンって映画みたいになっちゃってるー。こわーい!私は結婚して子供もいるのよ。ほんとにこわい!あなたは元気?私は元気、今のところ大丈夫みたい。なんか、キャバクラが感染源みたいになってるよねー。今でもいたらと思うとぞっとするわ。ちょっと思い出して懐かしくてメールしただけだから。あなた、キャバクラなんかもう行っちゃだめよ!」という感じ。ご安心を。私はもう4〜5年ほど、そういう所には足を踏み入れていない。
この「Contagion」でもう一つ思い出すことがある。私はiPhoneやiPadのゲームのみならず、電子ゲームなどほとんどしないのであるが、二つだけハマったものがある。「歪みの国のアリス」というホラーテキストADVと「Plague Inc」というシミュレーションゲームである。特に後者「Plague Inc」にはハマった。今から6年前のことである。これは、自分独自のバクテリアやウイルスを作成し、その伝染力や症状、能力をうまく設定し、局面局面で巧みに操り、人類のワクチン作成能力と競いながら最終的に人類を一人残らず死滅させたら勝ちという、今日の状況を考えると不謹慎極まりないゲームであるが、当時かなり話題になったゲームである。これがなかなか難しいのである。つまり、一人残らず死滅させないといけないのだが、致死率が高すぎると感染した宿主がどんどん死んでしまい、それほど広まらないうちにエピデミック(伝染病の流行)は終息してしまう。逆に感染力は高くても致死率がそれほどでもない場合、広範囲に広がるのは広がるが、死亡者数はそれほど多くなく、そのうち人類がワクチンや治療薬を開発するか、ほぼ全員が免疫を持つことで終息してしまう。ウイルスや病原菌の立場からすれば、自分たちが広範囲に広がらないうちに宿主がどんどん死んでしまえば不利なので、賢い(あくまでも比喩的にだが)ウイルスや病原菌は広まっていく過程で弱毒化すると言われる。しかし、このゲームは最終的に全人類に感染し、なおかつ全人類を死に至らしめないとプレイヤーの勝ちとはならない。当時、このゲームにハマっている時、私は仕事にもそれほど頭を使わないだろうという”勤勉”ぶりで必死になって考え、工夫を凝らし、どのように設定したり制御すればもっとも速く人類を死滅させることが出来るか頭を使ったものである。その甲斐あって、様々なウイルスや病原菌で30回ぐらいは人類を死滅させたと思う。
この憎き新型コロナウイルスのせいで(というより、もっと憎いのは安倍なのだが、その話はさておき)、ここ1週間ほど仕事がない。今後もどうなるか分からない。その辺りの大変さ、経済的ヤバさは世の皆さんと同じである。あまり鬱々としても仕方がない。かと言って気晴らしに、みだりに繁華街などに出歩くのも、この御時世、少し憚られるし、第一に「万が一」ということもある。仕方なくずっと大人しく自宅にこもっている。まあ、仕事のお呼び出しがかかれば出て行かざるを得ないであろうが。で、書物も読み飽きた。音楽も聞き飽きた。コーヒーも飲み飽きた。彼女である悪魔(詳しくは過去記事を参照のこと)とも会えない。その彼女との「濃厚接触」など以ての外である。悪魔も自粛するのである。ということで、その「Plague Inc」をふと思い出し、再ダウンロードし、数日前から遊んでいる。ただ、私はすでにそのゲームで何十回も人類を死滅させているので、同じようにやっても意味がない。そこで、ネット上のいろんな情報や数値やデータを参考に、現在猛威を奮っているこの新型コロナに出来るだけ似せてシミュレートし、今後の推移を占ってみようと思ったのである。ところがこれがうまくいかない。どうやってもこの新型コロナの広がり通りに行かないのである。感染の広がりが速すぎたり遅すぎたり、死亡者数が少なすぎたり多すぎたり。
だが、あーだこーだ試していて思いついたことがある。このアプリは初期設定、またはゲームの途中で、潜伏期間と致死率およびそれらの変異率を設定したり変えたり出来ないのである。もしそれが出来れば、現在のコロナの全世界の感染状況にかなり近い状態を復元し、ごくごく荒っぽくでも今後の推移が予測できるかもしれない。願わくば、各国の政府の政策や国民性(例えば欧米と日本との、外出禁止令か自粛要請かの違いや、各国民の手洗い、マスク着用などの清潔感の違い、日常的なハグやキスの接触度や、身体的距離感に対する感覚の違いなど)なども調整できればなおグーである。しかし当時期間限定の安売りで100円で手に入れたゲームなので、そこまで期待するのも酷である。プログラムの知識があり、そのアプリをいじれる人であれば、それぐらいのことは簡単かもしれないが、あいにく私にはそこまでの知識も技量もない。なのだが、そんなことを考えながらゲームをしていて、少し恐ろしいことに気づいてしまった。この新型コロナの邪悪さ、残虐性である。
まず致死率であるが、みんな単純に現在の死亡者をこれまで現在の総感染者数で割っていないだろうか?そうすると、厚生労働省やWHOで発表されている数字では、日本 1.5%前後、全世界 6% 程度となる。これはこれで決して低いとは言えないのだが、よくよく考えてみるとこの計算は非常におかしい。一般的に言って、エボラにせよ天然痘にせよ、各々のインフルエンザの流行にせよ、致死率は終息した客観的な数字に対してなされ、何々パーセントだと言っているのである。その場合、総感染者数というのは「死亡者+回復者」なので、致死率は「死亡者/総感染者数」で差し支えない。また、それらの病原菌やウイルスは、これまで十分に研究され、新規に感染流行が起こっても、ある程度まで致死率が正確に予測できる。しかし、この新型コロナは人類にとって未知のウイルスなのである。現在までの総感染者数は、現在感染中の者とすでに回復した者と死亡した者すべてを含んでいる。その内、現在感染中の者は今後どの程度回復するのか死亡するのかは分からないのである。故に、現時点での致死率は「死亡者/死亡者+回復者」でなければならない。それで計算し直すと恐るべき数字が出てくる。なんと日本 11%、全世界 19%強なのだ。
そして潜伏期間である。この新型コロナの場合、平均5日前後、最長で2週間にも及ぶ。しかし伝え聞くところによると、このコロナは潜伏期間中や無症状、またはごく軽症者からでも感染するというではないか。つまりこういうことである。こいつはいったん感染すれば、非常に長期間周囲にウイルスをばら撒き、ばら撒くだけばら撒いた後でその感染者を高い率で死に追いやる、ということである。邪悪で残虐であると私が言ったのは、そういうことなのである。あたかも、過去のSARSやインフルや、この Plague Inc で学習してきたかのようである。これが、無知な私の杞憂にすぎないことをただただ切に願うばかりである。
どちらにせよ、この新型コロナによって私たちの生き方は大きく変わるのではないか、少なくともこれまでの生き方や文明の在り方に対する深い反省、または省察が生まれるのではないかと思う。後の歴史で、「コロナ前/コロナ後」という言葉でいろんなものが対比的に考察されるようになるのではないか。この我々の、特に先進国の住民の無分別な生き方を反省するのが、スペイン風邪の時のように、全世界4千万人の人が死んでからというのでは、あまりにも代償が大きすぎるだろう。とは言うものの、私には、しっかりマスク・手洗いをし、不要不急の外出を控えることしかできないのだが。
美帆ちゃん。ひょっとして事態は「こわーい!」なんて言っているあなたの想像以上に深刻かもしれないよ。とは返信に書かなかったけれど。
(「CONTAGION の冒頭の曲と「Plague Inc」のBGMが非常にイカす!)
- [2020/04/13 02:55]
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騙し、嘘、盗み
Cheating, Lying, Stealing
作曲:David Lang
演奏:Bang on a Can All-Stars
Ashley Bathgate : cello
Vicky Chow : piano
Ken Thomson : bass clarinet
David Cousin : marimba
Robert Black and Mark Stewart : triangles and junk metal wheels
Bang on a Can -- 1987年、芸術監督である3人の現代音楽家 Julia Wolfe, David Lang, Michael Gordon によって設立された、ニューヨークに拠点を置く、現代クラシック音楽団体。
David Lang デイヴィッド・ラング (1957〜) -- 現在幅広く活躍している、人気の高いアメリカの現代音楽作曲家。ポストミニマルミュージックに属する。2008年にはピューリッツァー賞を、2010年にはグラミー賞を受賞。また、アカデミー賞にノミネートされたこともある。
今回は私の現代音楽ヘビロテ トップ3に入るお気に入りの1曲を紹介したい。
現代音楽の中の人気曲、"Cheating, Lying, Stealing" である。
David Lang はこの曲のスコアの冒頭に「ominous funk(不吉なファンク調で)」と指示書きをしているらしい。まさに ominous funk。心の裏側をぞわぞわさせるような不穏なビートの効いた変拍子、微かに狂気めいたな調子っぱずれな頓珍漢な音、そして絶えず底を流れる、深い暗い、悲しくも不気味で不吉な、しかも豊かで美しいチェロの音色。私はこれを初めて聞いた時、なぜか「ミニマルミュージックもついにここまで来たか」と思わずにはいられなかった。
ミニマルミュージックといえば言わずと知れた Steve Reich(スティーブ・ライヒ)。1970年代半ば、彼が "Music for 18 musicians(18人の音楽家のための音楽)" をひっさげて音楽シーンに登場した時には、反復の織りなす、そのあまりに美しく鮮烈な音風景に、現代音楽ファンだけでなく、非常に多くの幅広い音楽マニアが衝撃を受けた。
もちろん私もその一人であるが、その「18人の音楽家のための音楽」はあまりにも長すぎるので、ここではそれと並んで私のお気に入りの1曲である "Octet" を紹介したい。
このスティーブ・ライヒの "Octet" を聞くと、先ほどのデイヴィッド・ラングの "Cheating, Lying, Stealing" がポスト・ミニマルミュージックであるという、その「ポスト」たる所以がよくお分かりいただけるのではないかと思う。
ライヒの音楽と出会った頃の時代は、そしてその時代の私は、大きな物語を失ってしまっていたとは言え、まだまだ現在よりも愚かしくも純粋でひたむきな精神を残していたように思う。それは私が若かったということもあるだろう。何を見ても何を聞いても新鮮に思えるみずみずしい感受性が私にもあったということである。それが今はどうだ。目はかすみ、耳も弱くなり、そして脳内にもカビが生え、対象物をそのままに鮮やかに捉えることができなくなり、何を見ても何を聞いても、あーまたか、と既視感を覚えてしまう。
しかし、それだけではないだろう。何を見ても何を聞いても感じる、この砂を噛むようなざらざらとした感触は。
現代は甘ったるく空疎な空々しい言葉だけが、どこもかしこも覆い尽くす、模倣の、まがい物の時代である。
人々は、そのまがい物で空虚な自分を見たし、ごまかし、ひたすら充実した自分らしさを求めようとする。または、それが正しい姿であるかのように振る舞う。そうしなければ自分を支えられないのである。
かつては酔いしれた、ライヒの音楽の美しく陶酔的な自己欺瞞性。それに気付き、やりきれなさを覚えながらも、何かに依存し自分をごまかし、充実した振りをして、または充実していると自ら錯覚し、意味のない毎日を何とかやり過ごさねばならない「現代」の私たちの在り様を描いた「現代」音楽がまさに、ラングのこの "Cheating, Lying, Stealing" なのである。
なんてね、適当な私のでたらめですよ。
あらゆる詐欺のうちで第一の、最悪のものは
自己欺瞞である。(ベイリー「フェスタス」)
力足らざれば偽り、
知足らざれば欺き、
財足らざれば盗む。(荘子)
- [2020/02/28 23:05]
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Eric Dolphy (alto sax, bass clarinet, flute)
Misja Mengelberg (piano)
Jacques Schols (bass)
Han Bennink (drums)
1964年録音
じゃあ、逃げてくれる?一緒に。
亜津子は、私がタバコに火をつけたあと、ちぎらずにそのままにしてある、先の黒くなった紙マッチの軸を一本一本ちぎり灰皿に捨てながら、顔も上げず、わざと投げやりに言ったであろうと容易に推測のつく少し上ずった調子で呟くように言った。
私には、片手で紙マッチの軸をちぎらず半分に折り、先の火薬の部分を親指で茶色の部分に押しつけ、はじくようにこすりつけて火をつける癖があった。いや、厳密に言えば癖ではなかった。そうすることが様(さま)になると思っていたのだ。毎回意識してやっていた。白黒のハードボイルド映画のワンシーンよろしく、ジャズバーのカウンターのスツールに横向きに半分だけ尻を乗せ、片手をポケットに突っ込みながら、カウンターに肘をついたもう一方の手で紙マッチに火をつけ煙草を吸う、そんな姿が様(さま)になるまで何度も練習したものだった。
そして亜津子には、私が火をつけた後の、先が黒くなってもはや用を足さない軸を、一本一本ていねいにちぎっては灰皿に捨てる癖があった。
いや、それも厳密に言えば、癖とは言えなかったかもしれない。
先の黒ずんだ軸を根元からていねいにちぎりながら、亜津子は時々こちらをわずかに非難がましくちらりと見た。
どうしてあなたはいつも、こうしてほったらかしにしておくのかしら?どうして、きちんと始末できないのかしら?
そう言うかのように、細心の注意を込めて根元からきれいにちぎり取るのだった。
いいよ。
私はできるだけ投げやりに言った。そう言う以外にどのような返答が可能だったであろう。ここまで来て、驚くことは無論、かすかな躊躇いを見せることも様(さま)にならない。いとも平然と「いいよ」と言ってのけることしか自分には許されないような気がした。
その時は様(さま)になってさえいれば良かったのかもしれない。そう返答することで呼び寄せる事態の重さを測り、十全に受け止める器量も賢明さも、私には微塵もなかった。あるいは、あえて判断停止していたのかもしれない。判断停止をし、未来を拒否することにより「実存的に」様(さま)になる、そう思うような哲学的チャラ男の極みだったかもしれない。いや、確かにそうだった。
ほんとに軽いわね。何も考えてないでしょ。
その通り。私は軽かった。ぺらっぺらだった。
ただ様(さま)になるというそれだけの理由で、何百冊も小説や哲学書を読み、それなりの言葉を散りばめた会話をしても、私の中身はただただ虚ろだった。いや、それだけの理由ではなく、確かに私の中にそういったものに惹きつけられる何かがあったのかもしれないが、いくら書物を読んでも「魂を震え上がらせる」と人が言うような、何かリアルなものは私の中に残らなかった。最初から燃え尽きて灰皿に捨てられているマッチの軸のようなものだった。いや、一度は実際に燃えただけ、灰皿の中のへしゃげたマッチの燃えかすの方がまだ百倍ましだった。
人間関係においても恋愛においても然りだった。私の人生はそのリアルな何かの影を追いかけているだけのようなものだった。実際に魂に触れるのではなく、その影の濃淡でそのリアルらしさを推し測っているだけの。
そんなことないよ。
そんなことあるわよ。分かるんだから、あなたの中身ぐらい。すっかすかのすかすかよ。蝉の抜け殻よ。
そこまで言わなくても。蝉の抜け殻って、漢方薬にもなって体にいいらしいよ。
だから軽いって言うのよ。そんなことしか言えないの?
私がこの程度の男でしかないのは、とうの昔にお見通しだったであろう。非常に不思議なのは、そんな私に亜津子が人生を投げ出そうとしていることだった。それほど今の亭主にうんざりしているのか、それともこの女も私と同じ穴の狢、何か止むに止まれぬ、情熱などとは到底言えない、すかすかの虚ろな焦燥感でぎりぎりと自分を不幸へと追い詰めていくところがあるのか。
まぁ、いいわ。いいのね?
いいよ。
じゃあ、待ってて。用意してくる。
えっ?今?この女には本当に痺れる。
その当時、哲学的チャラ男であった私の「神」の一人であったジャズミュージシャン、エリック・ドルフィーの"Last Date"に唯一「実存的」反応を示した女が亜津子だった。
貸した"Last Date"(当時はレコードの時代だった)を返してもらい、その感想を聞くと「魂を脱水されちゃった」そう、彼女は言った。幼稚な哲学的チャラ男には痺れるような、そんな様(さま)になる台詞を時々吐く女だった。
通帳とか、ありったけお金持ってくる。数万しかないけど。
と言って立ち上がった。私は言葉も返せず、その姿を見ているしかできなかった。通帳やお金を持ってくるということは、事前に決めていたことではなく、今思いついたということだ。人に軽いと言っておきながら、何と自分も軽い女なのか。それとも私を試したということか?少しでも躊躇を示せば、冗談よとでも言いながら話を済ませ、その後二度と私には会わない、そういう算段だったのかもしれない。いや、そういう算段であればなおさら、用意は済ませて来てもおかしくはない。あるいは、そういう算段で、あえて用意をしに自宅に戻り、私を一人ここに残し、尚も私を試したのか、それとも何か劇的な効果を狙ったのか。それとも矢張りまったくの気まぐれな思いつきか。思い詰めた果ての衝動か。いずれにせよ、この女には本当に痺れる。
待ってて。
カランコロンと、喫茶店にありがちなドアの音を立てて亜津子が行ってしまうと、私は、彼女がちぎって一本だけ残っている紙マッチでタバコに火をつけた。そして、火をつけ終わった軸を、今度は彼女がするように丁寧にちぎり灰皿に捨てた。そのことに何か象徴的な意味をつけようとしてのことだったが、しかし、そう思うこと自体が単なる気まぐれだった。
- [2020/02/24 02:05]
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