スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Triangle 



Triangle
Joe Bonner (piano), Clint Houston (bass), Billy Hart (drums)
1975年録音

 マンションとは名ばかりの、6畳に狭いキッチンがあるだけのアパートの一室、窓際に置かれたベッドに私はTシャツにパンツ一枚という姿で横になり微睡んでいた。暑い夏の昼下がりであったが、開け放した窓からは風が時折りレースのカーテンをわずかに揺らし、私の頬を柔らかく撫でていった。その蒸し暑く重い、だが不快ではない空気と一体となった半覚醒状態の意識が、その微睡みの心地よさとは異なる、こそばゆいような微かな心地よさを捉え、私は目覚めた。ぼんやりとその方向に目をやると、ベッドに横になった私の足元に綾(あや)が座り込み何やらしていた。私の足の爪にマニキュアを塗っていたのである。こそばゆい心地よい感覚の源はそれだった。

「何してるんだよ?」
「だって退屈なんだもん」
 そう言って悪戯っぽく笑えば可愛いところであるが、そうせずにぶっきら棒に言うのが綾であった。
「昼休み葡萄屋に行ったらいなくって、それで部屋だと思って一緒にランチしよと思って帰ってきたら寝てるし」

 当時、私は二十一か二十二。綾も同じ年であった。その頃私は大学に自宅から通えるにもかかわらず、親父のことが嫌いで家を出てしまい、住み込みで新聞配達をしたり、アルバイトをしながら、臭い汚い共同トイレの安アパートを借りて暮らしたりしていた。その内、いろんなことが面倒臭くなり、大学の授業にも碌すっぽ出ず、仕事もせず毎日ぶらぶら、今では死語であるが、プー太郎になり下がり、挙句の果てに女のところに転がり込んで半ばヒモ同然の暮らしをしていた。というより、そうやって毎日をやり過ごしていた。そして、その女が綾であった。

 葡萄屋というのは、綾のアパートのすぐ近くにあり、彼女がアルバイトで店員をしていたブティックのすぐ向かいにある珈琲専門店であった。そこはマスターが大のジャズ好きで、膨大な数のレコードをカウンターの背後に並べ、その時の気分でそのどれかを絶えずプレイヤーにかけて流していた。私は当時その店の常連客の一人であった。常連と言っても、店にとっては、金もなくコーヒー1杯で長時間カウンターに居座り、ジャズ談義やら哲学的で観念的な青臭い屁理屈をマスター相手に並べ立てたり、暇に飽かしてはウエイトレスにちょっかいをかける、あまり儲けにならない好ましからぬ客であったかもしれない。

「その、ろくでなしっぽいところ、好きよ」
「ろくでなしってなんだよ」
「ろくでなしじゃないの。ろくでなしっぽいの」

 ろくでなしではなくて、ろくでなしっぽい。そんな、謎めいたことを口にしながら、綾は獣のようにしなやかにベッドによじ登り、寝そべっている私の上に四つん這いにまたがる。そして汗の滴を一滴二滴、私の頬や首筋に垂らしながら、やはり水辺の水を飲む獣のように肩を落とし、そぉっと首を伸ばし、肉感的で柔らかい唇を重ねてくるのだった。

 ここで「ろくでなし」を辞書で引いてみると「何の役に立たない者、のらくら者」とある。「碌でなし」と書くことも多いようだが、その場合「碌」は当て字で、正しくは「陸でなし」と書く。「陸」を「ろく」と読むのは呉音で、他に、陸地を「ろくじ」と読んだり、陸屋根、陸墨など、陸の字を「ろく」と読ませる言葉がけっこうあったりする。

 漢字の、特に音読みに多様な読みがあるのは、漢字が日本に入ってきた時代と、その当時、中国を支配していた民族または王朝がその漢字にどのような音をあてていたかによるものであることは、ご存知の方も多いであろう。例えば、修行の「ぎょう」(呉音)、旅行の「こう」(漢音)、行燈の「あん」(唐音) などのように。

 そのうち、歴史的には呉音が一番古く、当時の中国南北朝時代の南朝(六朝)時代の首都健康(南京)付近で使われていた漢字音を、主に呉と交流のあった百済人が大和時代の日本に伝えたものが呉音であるとされる。別称、百済音、または対馬音とも呼ばれる。それゆえ、先の修行であるとか、経文「きょうもん」、成就「じょうじゅ」、殺生「せっしょう」などの語、または呉音でのみ使われる農業の「のう」、漁網の「もう」、城下町の「じょう」など、仏教にまつわる語や文化歴史的に非常に古い字音に多い。例えば「利益」を「りえき」と読むのは漢音であるが、「ご利益」と書いて「ごりやく」と読むのは呉音、普通の利益ではなく手を合わせて仏様から頂く利益は「りやく」なのである。また、男女を「なんにょ」、自然を「じねん」と読むように、呉音は漢音と比べ、マ行ナ行鼻音濁音が多く、まったりまろやかな感じを与えるため、日本語にもよく溶け込み、遊び人の「にん」などのように「あそび」という大和言葉などともしっくりくるのが特徴である。

 その後7、8世紀ごろになり遣唐使などによって大量に日本に持ち込まれた音が漢音で、当時の唐の首都長安辺りの発音であった。漢音は、先の呉音と並んで、またはそれ以上に現在の日本の漢字音の骨格をなすものであるが、江戸時代以前の庶民が知っていた漢字は、古くから定着していた呉音読みのものにほぼ限られていた。漢音が現在のように主流になるのは、明治時代に入り、欧米に追いつけ追い越せとばかりに、時の明治政府が欧米の事物・学問・文化思想・概念・社会制度を大量に輸入し、その訳語の読みにもっぱら漢音を当てたせいである。

 その遣唐使は894年に菅原道真により廃止され(受験で「白紙(894)に戻そう遣唐使」と語呂合わせを覚えた人も多いと思う)、以降しばらく日中間の交流は途絶えていたわけだが、鎌倉時代に入り再開され、室町から江戸期には再び盛んになっていく。その過程で禅宗の僧や貿易商人によって日本に持ち込まれたのが唐音である。呉音と漢音がほぼすべての漢字にわたる体系立った普遍的な読みであったのに対し、唐音にはそのような体系性はなく、僧や商人によって持ち込まれた特定の概念や事物を表す語と結びついた、非常に個別的断片的な性格の強いものであった。そのほとんどが、禅宗に関連した語や、商人によって持ち込まれた語であり、特に行燈(あんどん)、椅子(いす)、箪笥(たんす)、炬燵(こたつ)、湯湯婆(ゆたんぽ)、蒲団(ふとん)、吊灯(ちょうちん)、暖簾(のれん)、扇子(せんす)、饅頭(まんじゅう)、瓶(びん)などのように、日本人にとって日常的に非常に馴染み深く、同時に懐かしい気持ちにさせる語が多く、我々の生活の基礎がいかに鎌倉時代以降に中国から伝わった物で成り立っているかが分かり興味深い。

 さて、話を戻すと「陸でなし」である。「ろくでなし」の「ろく」の正字が「陸」であり、「ろく」が呉音であるのは分かったが、そもそもなぜ陸という字なのかである。この「陸でなし」の他に、「陸すっぽ(陸に、陸々)勉強もしないで」とか「陸な人間ではない」「陸なことにならない」などのように、陸は後ろに否定語を伴い、物事や人が正常でない、まともでない、満足いかないさまや状態を表すのだが、陸を否定するとなぜそのような意味になるのか、語源としてよく挙げられる最も一般的な説明は非常に分かりやすいものである。つまり、陸は陸地の陸であり、それは地面であり大地であり、それゆえに水平で傾きのない平らなさまを表し、そこから物や性格が歪んでいない真っ直ぐなさま、まともな状態を表すようになり、その否定語が今の「陸でなし」のような語につながったという訳である。うーん、ちょっと分かり易すぎやしないだろうか。そう思い、ネットをあれこれ調べてみると面白い説にぶち当たった。「ろくでなし」の「ろく」は「陸」ではなく、「六尺(ろくしゃく)でなし」が「ろくでなし」になったと言う説である。昔から葬儀の雑務に従事する人を六尺と言い、葬儀自体には何の役にも立っていない参列者は「六尺でない者」、そこから役立たずを「六尺でなし」→「ろくでなし」と呼ぶようになったと言うのである。

 しかしながら、その「六尺でなし」説、面白いのだが、そうであればなおのこと「陸でなし」でもいいのではないかと思うのだが。というのは、六尺=陸尺だからである。「陸」は漢音で「りく」、呉音では「ろく」だが、同様に「六」の字も漢音では「りく」、呉音で「ろく」であり、音が同じであれば意味も癒着するのは言語の常で、六=陸であり、だから一を壱、二を弐、三を参と書くように「六」の大字は「陸」なのである。それゆえ「六」も「陸」も同じで、どちらでもいいのである。

 元々「六尺/陸尺」とは駕籠担ぎなどの人夫を指す言葉である。その語源は「力仕事をする者」という意味の「力者(りょくしゃ)」が訛ったものであり、そこから、雑用などに使われる下男や下僕の意を表すようになったと言うのが通説だとされている。またそれとは別に、その元々の駕籠担ぎを六尺と言うのは、彼らが一様に六尺褌(ろくしゃくふんどし:六尺の長さの褌)をしていたからだという説もある。だがそれにも反論があり、元々六尺褌は六尺の褌ではなく、駕籠担ぎの六尺がしている褌だから六尺褌になったと言うのである。だったらその駕籠担ぎをそもそもなぜ六尺というのか、それは「力者(りょくしゃ)」が訛ったものであるという最初の話に結局戻る。その真偽のほどは定かではないが、「六尺褌をしていた力者」が「ろくしゃく」になったぐらいが妥当なところだろう。ここで思い出すのが「人力車」で、英語で rickshaw(リクショー)という。英語のリクショーは明らかに日本語の「じんりきしゃ」の「じん」が落ち「りきしゃ」が訛って出来たものである。細かな微妙な発音の違いはあるが、英語であれ日本語であれその他何語であれ、同じ人間が喋る言葉、その発声器官である口や喉の解剖学的な構造は人間ならばほぼ同じで、「リク」が「リキ」になったり「ロク」になったり、または「リョク」が「ロク」になったり「リキ」になったり、その音韻変化は世界のどこでも同じようなものなのであろう。

 上記のようにもし「りょくしゃ」が「ろくしゃく」になったのであれば、その「六尺/陸尺」は本来「力があって役に立つ者」の意であり、それゆえ「六」も「陸」もどちらも、ある意味において当て字であると言え、結局やっぱり「六」でも「陸」でもどちらでもいいということになる。以前、ろくでなしを「六でなし」と書くのは全くの誤りであると述べているのを何かで読んだ記憶があるが、ここでの話で行けば、六も陸も碌もすべてある意味当て字であり、碌と陸と六のどれが正しいかという議論など、正真正銘ろくでもない議論だということになる。で、ここで私は高らかに宣言したいのである。ろくでなしの「ろく」は正しくは「碌」でも「陸」でも「六」でもなく、つもりどれもろくでもない説明であり、唯一まともで正しいのは「力」なのである。その語源はもうお分かりであろう。それは「陸でない(ろくでなし)→平らでない→曲がっている→役立たず」でもなければ「六尺/陸尺でない(ろくでなし)→葬儀で何もしない→役立たず」でもなく、「力者(りょくしゃ)でない(ろくでなし)→力がない→非力である→役立たず」なのである。この新説、どこを探してもネットには出てこないが、考えれば考えるほど、この説が尤もらしく思えるのだが、我田引水が過ぎるであろうか?確かに「力」の音読みは「りょく」と「りき」しかなく「ろく」はないのだが、また歴史的に「力」を「ろく」と読ませる例はいくら探しても出てこないのだが、先ほど述べたように、「りょく」も「ろく」も「りく」も「りき」も言語の音韻の経時的変化の点から言えばどれも同じなのである。「りょく」が「ろく」になるのは朝飯前。試しに「りょくしゃ」を出来る限り早口で10回繰り返してみてほしい。最後には必ず「ろくしゃ」になっているはずだ。それに、「力」そのものには「ろく」はないが、肋骨の「肋(ろく)」も、弥勒の「勒(ろく)」も旁(つくり)に「力」を当てるではないか。という訳で「ろくでなし」は正しくは「力でなし」なのである。どうだろうか?無理がある?いやいや「力」だけに、ここは問答無用の力業でねじ伏せておきたい。

「ろくでなしじゃないの。ろくでなしっぽいの」
40年前の綾はそう言った。
私の上にまたがって大きく開いたTシャツの胸元からは、ほっそりとした体から想像もできないほどふくよかな、形のよい白い乳房が葡萄の房のように露わになっている。綾は平素からブラジャーをしない女だった。とにかく拘束というものを嫌う女だった。

 ろくでなしが辞書的には「何の役に立たない者、のらくら者」ほどの意味であることは先ほど述べた。だが人が何の役にも立たないというのはどういうことであろうか。ある人に天井の電球を変えさせようとしたが背が低すぎて役に立たなかったとか、固く閉まった瓶のキャップを外してもらおうとしたが、その人は握力がなさすぎてその役には立たなかったとか、そういう意味ではあるまい。先ほどの「ろくでなし」=「力でなし」論で言えば、非力なことを言うわけだから、その状況に当てはまっても良さそうであろうが、それはあくまでも語源の話である。ある語が、語源として使われていた意味合いと別のニュアンスや、より幅広い語義をその後獲得することはよくあることで、先の電球や瓶のキャップで示した状況において「あなたって本当にろくでなしね」と言うのはやはりしっくりこない。ろくでなしとは、そのような個々具体的な状況において、ある特定の目的を果たす能力に劣っているということではなく、常態的に社会や他人にとってまったく役に立たず、自らの意志で何ら生産的なことを少しも行おうとしない怠惰な生活態度、あるいは、そのような傾向にどうしても陥ってしまう気質、性分を指す言葉のように思える。また、「このろくでなしが!」などという使い方にも表れているように、のらくら他人に依存ばかりしていて、それでいて恩を返そうとしない、むしろ仇で返すようなその態度が、常識や社会規範に著しく反し、人に嫌悪感や不快感を引き起こすような場合が多いように思える。「このろくでなし!人間の屑!」と言い添えると非常にしっくりくる。だがその場合「人でなし!」と言うのとは少し違うような気もする。「人でなし」とは、人の道に外れ、もはや普通の人間とは思えないほどの逸脱、ぞっとするほどの異常性を感じさせる人や行動に向けられる言葉だからである。それは「犬畜生にも劣る!」「けだもの!」などともほぼ同義であり、それに対し「ろくでなしは」は「けだもの」ではなく、そのだらしなさが決して社会的に見て好ましいとは言えないが、それも人間の一部であるというような、どこか人間臭さを表す言葉ではないだろうか。とは言うものの、この当たりは非常に主観的なであり、どの程度のどのような状況に使うかは人によって大いに議論が分かれるところだろうと思うが。

「ろくでなしってなんだよ」
そう、形だけでも抗ってはみたものの、少なくとも私にはろくでなしの自覚があった。それはそうである。仕事も碌すっぽせず(「力すっぽ」と書きたいところであるが)毎日ぶらぶらして、女の部屋で惰眠を貪っていたりするわけだから、それがろくでなしでなくて一体何であろう。しかし綾はそれを「ろくでなしっぽい」と言うのである。

「だって、ろくでなしじゃないでしょ。ほんとはね。真面目なのよ」
それには何も答えず、私は綾のTシャツをたくし上げ、白い葡萄の房の先の、まだ淡い色をした一粒を口にふくんだ。私がそうしたのではない。私がそうしたくなるように、綾が体をずらし、私の顔の上に自分の胸を持ってきていたのである。少したるんだTシャツが私の視界を覆い、私の顔を撫でた。私は、何も考えず半ば自動的に綾のTシャツをたくし上げていた。
「振りしてるだけ。でも、そんなとこが好きよ」
私はひたすらただ黙々と綾のみずみずしい肌を貪っていた。貪っている振りをしていた。見抜かれていたのである。

 確かに私のろくでなしには振りの部分が大いにあった。いわば確信犯的にろくでなしを演じていたと言ってもいい。それは100%意識していたわけではない。私は根っからのろくでなしではなかった。私を表向きだけ知っている人は意外に思うかもしれないが、むしろ生真面目な方かもしれない。だが、どういうわけか、まともでないろくでなしな生き方に強く憧れ惹きつけられるようなところがあった。それが何から生じるのか、はっきりとは分からなかったが、親父を嫌う気持ちと裏腹であることは確かだった。とにかく、いわゆる真面目な人間という種族を毛嫌いしていた。真面目、好青年、爽やか、しっかりしている、頼もしい、つまり「ろくでなし」の対極であるそういった性質はすべて社会の常識的な判断基準に照らして決まるものである。その判断基準のすべてを貫いている尺度はただ一つ、社会にとって有用かどうか。私は、その有用性に潜む欺瞞や偽善といった胡散臭いものに人一倍敏感だったように思う。そして、その最低限の基準をも満たさない「ろくでなし」というものに何か生きる本質的な意味を見出そうと足掻いていたのかもしれない。

「私の方こそろくでなしよね」
「どうしてだい?」
「だって仕事の昼休みにこんなことしてるんだもの。ろくでなしよ。でもいいの。好きよ、あなたとこうしてるの。生きてるって気がする」

 蒸し暑く気怠い昼下がり、重く湿った空気、じっとりとした、弾力的で吸い付くような綾の、懐かしいような生暖かい肌を感じながら、あの当時の記憶の中の私はいつもジョー・ボナーのこの "Triangle" を聴いていたような気がする。綾が大好きだったのである。いつもいつもこのレコードをかけていた。少なくとも記憶の中の綾はそうだった。

Joe Bonner ジョー・ボナー:アメリカのジャズピアニスト。1948年4月20日、ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれる。両親はヴァイオリニストと歌手で、小学校時代から音楽を学ぶ。1970〜71年ロイ・ヘインズ、72〜74年ファラオ・サンダース、75年ビリー・ハーパー等のグループで活躍。その後、自己のグループを結成し、15枚ほどアルバムを残し、2014年11月20日コロラド州デンヴァーで心不全のため死去。

 相当のジャズ通でないと知らないかもしれない。2014年死去とあるが、特に、2000年以降は3枚しかアルバムを残しておらず、現代の若いジャズファンの間では存在感の非常に薄い、今では忘れられたピアニストの一人と言っても過言ではないだろう。しかしピアノ好きならば、知らないで済ますにはあまりにも惜しいピアニストであると思う。上記の略歴にファラオ・サンダース、ビリー・ハーパー等と活動と書いたので、スピリチュアル色濃厚な重厚なピアノをイメージする方も多いかもしれない。確かにその側面はあるが、そのピアノを一言で言うなら、ずばり、どこまでも初々しく瑞々しくリリカルなマッコイ・タイナー。ご存知ない方はこの機会にぜひ一度耳を傾けてみてほしいと思う。

 特に私のお薦めの一枚は、もちろんこの Triangle である。録音は1975年、ジョー・ボナー27才の作品で、ジャズミュージシャンとしていよいよ油が乗ってきた頃であるが、円熟とはまだまだ程遠く、怖いものを知らない、攻撃的な初々しい若さとエネルギーに溢れたアルバムである。クリント・ヒューストンの重厚かつ軽やかで、心地よいリフの印象的なベース音と、手数は多いが決してうるさくなく、軽やかでテクニカルな変化に富んだビリー・ハートのドラムのリズムを背景に、ジョー・ボナーのピアノはあくまでも清冽でリリカル。アグレッシブかつメロディアス。叩きつけるような重厚さの中にも天使の羽根のような繊細さと軽やかさを秘め、散りばめた宝石のような煌びやかな音色とメロディーはただ美しいだけではなく、スピリチュアルな深さに満ち、聞く者の胸に迫らずにはいられない。ぜひぜひ聴いていただきたい一枚である。特に好きな曲はB面1曲目の、いやCDを求めて聴かれる方は4曲目の VEGA。綾とのことを脳裏に思い描く時には、映画音楽のように必ずこがの曲が頭の中で鳴っている。そして最後の曲に、On Green Dolphin Street でも有名な作曲家ブロニスロウ・ケイパー作曲の、私の大好きな曲 Invitation を取り上げているのも嬉しい。ここでのジョー・ボナーは先ほど述べたジョー・ボナーらしさに加え、繊細な気品にも満ち溢れている。

 冒頭のアルバムジャケットは当時のLPの頃のものであり、今は中古品を除いて入手不可能となっている。CDで復刻盤が出ているが、ジャケットは異なり、こちら↓


 ある時、いつものようにその Triangle を流しながらベッドで睦み合っていると(いや、年がら年中、何をいたしていたわけではない。6畳に狭いキッチンだけで、とにかく狭いのである。くつろぐのは自然とベッドの上ということになる)、激しくドアを叩く音がした。ぎょっとして体を起こし綾を見ると、真っ青な顔をしている。そして声をひそめて「服を着て。服を」と囁く。「どうして?」と唇の動きと表情だけで尋ねると「あ、と、で」と綾も同じように黙って唇を動かす。私はもうほとんど事情を察してしまっていた。ドアの鍵は閉まっていたので乱入してくる恐れはなかったが、さすがに綾も気まずかったのであろう。二人とも素っ裸だったのである。

 ドアを叩く音はなおも止まない。
ドンドンドン「いるんだろ!分かってんだよ!」
ドンドンドン「返事ぐらいしろ!あやっ!」
 ドアの向こうの男が彼女のことをあやと呼ぶのを聞き、私の推測は確信に変わった。そして眉をひそめながら非難がましく彼女を睨むと、綾は目の前で手を合わせ「ごめん」と唇を動かした。なおもドアのドンドンは止まない。
「おい!あやっ!出て来れんのかっ?!出て来れんことでもしとるんか?!」
 出て行けないことをしているのは確かだった。
ドンドンドン「いるんだろ!トライアングルが聞こえてるぞ!」

 男はなおもドンドンをやめない。どうなるのか、どうするつもりなのか、固唾を飲んで見守っていると、綾は「仕方ないわね」とでも言うように投げやりな仕草でのろのろと立ち上がり玄関に向かった。人に服を着ろと言っておきながら自分は丸裸だった。長い黒髪を肩と背中に落とし、この世のものとは思えないほど優美な曲線を描きくびれた腰の、その均整のとれた一糸纏わぬ後ろ姿の立ち姿を私は初めてまじまじと眺めた。そして事態の深刻さも忘れ、その美しさに見惚れていた。彼女が裸だったので男を中に入れる心配はないだろうという計算も、確かに脳裏の片隅にあった。

 ドンドンドン!
「うるさいわね。いい加減にしてよ!近所迷惑でしょ!」
ドア越しに彼女は声を上げた。
「やっぱりいるんだな!開けろよ!男でもいるんだろ!」
 確かに。
 しかし綾はそれには一切答えず、つっけんどんな口調でドアに言った。
「かっこ悪いわね。みっともないでしょ。近所の人が聞いてるでしょ」
「だったらドアを開けて話ぐらいさせろ!」
 それも確かに。その男に対する綾の態度はあまりにも理不尽なように私には思えた。
「帰って!いいから帰って!またきちんと話しましょ。急に来られたって無理よ。今日は帰って。ドアをドンドンと叩いて大声を上げる人なんて嫌いよ!」
 私はドアの向こうの男がさらに逆上するのを恐れた。その男が怖かったわけではない。いや、今日は事なきを得ても、その男に付け回され、ある日ナイフをぶすっと・・・そういう恐怖もないわけではなかったが、それよりも何よりも、その男がこのまま喚き散らしながらドアを叩き続け、そのうち誰かが警察に通報し、警察官がやってきてあーだこーだ事情聴取をされ連絡先を聞かれ、などと考えるとあまりにも面倒臭く思えたからである。
 だが私の予期に反し、ドアを叩く音も男の声も、「ドアをドンドンと叩いて大声を上げる人なんて嫌いよ」という綾の言葉を最後にぴたりと止み、ドアの向こうはしーんと静まり返った。そして耳を澄ませているとその場から立ち去るらしき靴音がかすかに聞こえ、やがてそれも聞こえなくなった。

「帰ったのかな?」
「帰ったと思う」
「その辺で待ち伏せしてたりして」
「そんな人じゃないと思う」
「・・・」
「・・・」
 私は黙っている。彼女も黙って立ち尽くしている。相変わらず裸である。私は彼女を見凝め続けた。綾は、私が非難の目を彼女に向けているのだと思っていたのであろう。彼女も何かを言い返した気な顔で私を見続けていた。なんと私はずるい男であろう。先ほどとは違い、真っ直ぐこちらを向き、そのすべてが露わになった綾の裸身を、私は臆面もなく眺め続けた。誰かは知らぬが、その男が執着したくなるのも無理はない。この女は今は俺のものだ、私は悟られないように内心密かにほくそ笑んでいた。やはり私はろくでなしだった。と同時に、先ほどの男があまりにも不憫に思えた。俺も最後にはこんな風に捨てられるのか、という思いが脳裏をよぎった。
「少しひどいんじゃない?」
 しかし綾はその言葉を、その男に対してではなく、私に対してだと勘違いしたようだった。
「ごめん。言おうと思ってたの」

 さすがに素っ裸で立っているおかしさに気が付いたと見え、パンツをはきTシャツを着ながら綾は事情を話し始めた。事情と言っても何のことはない、前の男と別れないうちに次の男ができてしまった、ただそれだけのことである。その男が嫌になって別れたい気持ちを告げたが、相手はなかなか承知せず、怒ったり泣いたり拗ねたり追いすがってくる。その女々しい未練がましさがさらに彼女の気持ちを遠ざけるのだが、そうかと言って、暴力を振るったり包丁を持って追いかけ回したりするわけでもない。ただひたすら話だけでも聞いてくれと迫ってくる。綾も、心変わりをしたのは自分の方であるという負い目から、少しは誠意を見せなければと、つい情にほだされ話に応じてしまう。そんなこんなしているうちに私と関係を持ってしまった、という訳である。確かに、ろくでなしである。

「あんな人だと思わなかったの。女々しくて、しつこくて、すぐに焼きもち妬くし、やたら拘束してくるし。ごめん。早く白黒つけるつもりだったんだけど、でも根はいい人で、真面目で。だから、すっぱりという訳にもいかなくて。嘘ついてたわけじゃないのよ。ただ、なんかこう、ずるずると。ごめんね。でも、あなたといる間は一度もないから。信じて」

 しかし私は信じてはいなかった。というよりも積極的に信じようとも思わなかった。綾という女をよく知っているからである。そもそも私とこうなったのも、何となくこうなってしまったのである。だったらまだ関係の切れていない向こうとも、少なくとも最初の頃は、何となくそうなっていてもおかしくはない。

「やっぱり私のほうがろくでなしね」
 どっちもどっちだろう。私は、結果的に知らずに三角関係を続けていたわけだが、おそらく綾に、別れたいが別れられない男がいると告げられていても、たぶん綾とはこうなっていたであろう。綾も向こうを切るに切れず、私もそれを仕方ないと受け入れながら。どっちもどっち、どちらもろくでなしだ。

 その後、ご多分に洩れず、こういった茶番にありがちな、やがて収束に向かうゴタゴタがあり、綾は私とも彼ともどちらとも別れ、一人東京に去った。三文小説かメロドラマのような話であるが本当のことである。作詞家になりたいと言っていた。その後すぐ彼女とは二度ほど会ったのだが、それからはまったく消息を聞かない。言葉通り作詞家になったのかどうか、仮になっていたとしてもペンネームを使っているだろうから、元より分かる道理もない。

 その彼もその後どうしているのか、知りたくもないし知る由もない。ただ一つだけ私には気になっていることがあった。ドアの向こうで彼は「トライアングルが聞こえてるぞ!」と叫んだ。かつては彼も私と同じように綾の部屋でいつもいつも Triangle を聴いていたのであろうか。そして私同様、それが大好きだったのだろうか?ひょっとすると、そう、ひょっとするとである、あのトライアングルは彼のものだったのではないか?一度、それだけは尋ねてみたいと思っていたのだが、ついぞ聞けずじまいに終わった。いや、それで良かったのだろう。

 ちなみに復刻盤には合計6曲収録されている。1 Triangle 2 The Wind And The Rain 3 Mr. P.C. 4 VEGA 5 Miss Greta 6. Invitation である。しかしオリジナル盤は 1 Triangle 2 The Wind And The Rain 3 Mr. P.C. 4 VEGA 5 Invitation の全5曲である。おそらく復刻盤が出された時、5の Miss Greta がボーナストラックとして追加されたのだろう。つまり元々のオリジナル盤は6曲目がない、6がない、ろくでなしだったのである。私たちの関係は元々ろくでなしの三角関係だったのである。

(人名や店名など固有名詞は少し変えてあります。)

スポンサーサイト

Beginning of the End 



 前回エントリーから7年以上、それ以前に書き溜めた記事をすべて破棄した時点から数えると10年以上もの歳月がすでに流れた。10年、長いようで短いものだ。ほとんど誰も読む者などいないであろうこのブログだが、訳あって再開することにした。ほとんどが私自身の自己満足の垂れ流しのようなものになるだろうが、せめて良い意味で何がしかの格好はつけたいと思っている。万が一このブログに偶然辿り着き、この拙い文章群を目にしてしまった貴方が、予期せず他人の垂れ流した自己満足という不快極まりない汚物に遭遇してしまうことだけは避けたいと思う。人生の残滓と、本当は汚泥のような内面の吐露にも、出来るものなら、芸術や音楽や学問の香り豊かな見せかけだけは、纏わせてみたいと思っている。

 破棄した以前の記事を読んでいた人のためにこの10年の経過を簡単に述べると、相も変わらず、古い洒落たバーでカッコつけて飲む酒、その都度入れ替わる外見だけは美しい女(その多くは水商売の女、それと正直に書けば、容姿の美しい風俗の女もいた)、身にならない読書、JAZZ、大きく空いた心の穴を埋めるだけの映画、嫌いなわけではないがもはや何の情熱もない仕事など、同じことの繰り返しで、大したことなど何もあったわけではないが、そしてそれはそれで、カフカ的不条理な要素のまったく無い、退屈ではあるが可もなく不可もない(詰まらないシャレです、ご容赦を)プチ幸福な10年であった。

 と、そうなるはずだったのである。私はもう60を越えている。こんな出鱈目な碌でなしの私も、そろそろ人生を人並みにまったり楽しんでも罪ではないだろう。だが、ちょうど2年前の今頃である。悪魔が戻ってきたのは。今の私の二回り以上も若く、今なおこの上なく美しく甘美なあの悪魔が。しかも、あろうことか子悪魔まで連れて。小悪魔ではない。子悪魔である。いや、人生とは実に予期できないスリリングなものだ。お前の人生、そんな簡単にプチ幸福ですませてやるものかと、私の意地悪な運命の神は最初から決めてかかっているようである。いやはや神様は本当に意地悪だと思う。白状するが、以前その悪魔に「君のいない安楽な道と、君と歩む荊の道のどちらを選ぶかと問われれば、間違いなく俺は後者を選ぶ」などと歯の浮くような台詞を言ったことがある。お恥ずかしい話であるが、美しい女を口説く時、男なら誰だってそれぐらいのことは言うだろう。しかし神様は意地悪だ。その私の言葉が本当かどうか、何も今になって試さなくても!と思うのであるが、人生とはそんなものだろう。だから面白いとも言えるのだが。以前の記事を読んでくれていた人には、この「悪魔」という言葉である程度の事情は察して頂けるものと思う。その時、私は書いた。悪魔とは心の中に棲むものであると。私のこの弱い愚かな心は、よほど悪魔にとって居心地がいいと見える。閉めても閉めても忍び込んでくるこの甘い心の扉。いや、閉めたつもりでいて、締め具合を心持ち緩めているのは実は私自身なのである。まあ、その辺の事情は、気が向けばおいおい書くこととするが。

 先ほど、身にならない読書と書いたが、これまで人生60年以上、読んだ書物は相当数に及ぶと我ながら思う。現在でもハードカバーまたは文庫や新書など何らかの形で週に2冊は読むので、正確に数えたわけではないが、高校生の頃から45年としてその数は少なくとも3千冊や4千冊にはなるかもしれない。いや、学生の頃は、どこにそんな時間があったのか、とにかく本だけは読みまくった記憶があるので、それ以上かもしれない。その当時は、ジャズ喫茶という妖しく濃密な空間に立て篭り、1杯か2杯のコーヒーで何時間も粘り、薄暗い中ジャズを聞きながら、哲学書や思想書から文学、相対性理論や不確定性原理、量子力学などの科学もの、音楽や美術の評論など、もし猟読とか漁読などという言葉があれば、そういう言葉を当てはめたいほど様々な本を読み漁ったものである。とにかく本が好きだったのである。

 幼い頃、家は非常に貧しかったが、本だけはいつでも手元にあったように思う。事情あって父親のことは今でも大嫌いで、これまで一度も尊敬したことはないが、このように文字に書き起こし客観的に振り返ってみると、そのことだけは感謝しなければならないと改めて思う。閑話休題。とにかく小学生の頃から本を読むことが好きだった。お定まりではあるが、童話集だとか少年少女文学全集だとか、ジュール・ヴェルヌのSF冒険小説、H・G・ウェルズのSF小説、モーリス・ルブランのルパンもの、コナン・ドイルのホームズものなど、その一部か多くは子供向けに翻案されたものだったと思うが、異世界への子供の想像力を否が応でも掻き立てる挿絵の入ったそういう読み物を、夜遅くまで読み耽り、いい加減に早く寝なさいと毎晩叱られたものである。小学生の高学年になると、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だとか「鼻」「杜子春」だとか、そういう、これも子供向けにリライトされたであろう文学めいた教訓物をよく読んでいた記憶がある。(芥川龍之介を本格的に読んだのは、中学3年から高校にかけてのことだった。「地獄変」や「羅生門」はやはりそれなりに衝撃的ではあった。しかし、私は芥川龍之介をあまり評価していない。その理由は、また別の機会に譲るとして。)

 私の初めての「大人の」読み物デビューは、中学2年生になったばかりの頃、私よりも五つほど年上のませた親戚のお姉ちゃんと話しをしていて「本を読むのが何より好きだ」とつい口を滑らせたところ、それじゃあと勧められて読んだ三島由紀夫の自選短編集「真夏の死」であった。なぜそんなものを当時の私に勧めたのか、彼女にしてみれば、童話に毛の生えた程度のものしか読んでいない幼稚な子供が、インテリの文学通の自分と生意気にも対等なつもりでいるのが癪に触ったのであろうか。そして、意地の悪い気持ちでそんな「大人の」小説を私に勧めてみたのであろうか。今にして思えば、文学好きの同輩に勧める気持ちと同じ純粋な気持ちで、それを私に勧めたのでないことだけは確かなように思える。しかし当時の私は馬鹿正直に翌日さっそくそれを買い求め、読み始めたのである。

 衝撃的であった!と書きたいところだが、やはり当時の私には難しすぎた。何がテーマなのか、何を描いているのか、何を言いたいのか、うっすらぼんやりとしか分からなかったと言うのが正直なところである。そりゃそうである。マスターベーションしか知らない、女性と接吻すらしたことのない中学生のクソガキである。クソガキどころか、中学2年になったばかりの、まだほんの子供にすぎないのである。分かるはずもない。もし、あの当時の私の年齢で、あの時代、私と同じような境遇にあり、そしてあの短編集をはっきりと理解できる者がいるとすれば、逆に私はその人間に憐れみを覚えざるを得ない。そのような人間は、おそらくその後の人生で、普通の平凡な人間には到底理解できないような苦しみを味わうことになるだろうと思えるからである。幸い私の場合、現在までそのような超俗的な苦しみを味わうに到ってはいない。しかし困ったことに(と言えるだろうか)、私は、その「うっすらぼんやりとしか分からない」はずの小説にどうしようもなく魅せられた記憶がはっきりとある。当時の私には明確な言葉には出来なかったであろうが、何か性と生と死、そして情愛というべきか愛欲というべきか、業というべきか、そういう生の本質といえば空虚すぎる、何か名状しがたいおどろおどろしい、どよんとしたもの、それでいて自分にはよく分からないが物凄く「真実らしく」思えるものに出会ったような漠然とした不安な気持ち(芥川龍之介ではないが)を感じたのを覚えている。しかもそれが(当時の私のボキャブラリーにはそういう言葉はなかったが)抵抗し難いまでに「官能的な」「艶かしい」様相を纏って私の前に立ち現れたのである。何か、普通でいられない感じとでも言えばいいだろうか?「これって俺に完全に分かるようになるのだろうか?よし、大人になってからもう一度読んでやろう、そしてどう思うか確かめてやろう」と子供心に思ったことを、随分長い間忘れていたが、今はっきりと思い出すのである。では、その小説をはたして大人になってから読み直したのか?実のところ読んでいないのである。それは、まだ私が本当に大人になりきれていない証左であろうか?まあ、確かにこの年になっても大人にはなりきっていないのだが、そのうち必ず再読したいと今改めて思っている。

 その後、大人の読み物つまり「文学」というものを少し垣間見た私が自ら選んで読んだのが、どういう経緯でそれを読んだのかもう忘れてしまったが、ツルゲーネフの「初恋」であった。もちろんその当時、初キスも初エッチもまだであったが、なぜか文字通り魂が震えるほど感動したのを覚えている。この小説は大学生になってから、そしてもう一度、40代になってからも再読した。ロシア文学の中で、トルストイや特にドストエフスキーの凄さは否定しようもないが、心証的にどうしてもツルゲーネフに私の心が傾くのは、その当時の初々しかった頃の私の記憶が鮮明だからであろう。まだ読まれたことのない方は、そして、私のようにある程度年齢を重ねた方こそ、ぜひとも一度読んで頂きたい。この痛々しいまでに痛切で苦い人生の真実を、これほどまでに瑞々しく香り豊かに描き上げた小説を私は他に知らない。いや一度だけ、時代も設定も何もかも異なるが、それに似た感動を覚えた小説がある。ポール・オースターの「ムーン・パレス」である。

 話が幼い頃の記憶と小説に傾いてしまったが、左様に本を読んできて私には、人生と書物との関わりについて、一つだけ結論めいたものがある。それは、どれほど書物を読んでも人は賢明にならない、ということである。少なくとも私には、たくさんたくさん本を読んできたからといって、その分だけ賢明になったという実感がまるで無いのである。わかりやすく言えば、自分の場合、どれほど本を読んでもまったく「身についていない」のである。いや、そんなことはない。本を読めば、人はそれだけ賢くなれる。賢明になれないのはお前が馬鹿だからだ、と貴方は言うであろう。それは確かにそうである。私はそんなに賢い人間ではないので、本をいくら読んだところで、それで賢明になれるわけでもない。そう、そういうことなのだ、私が言いたいのは。本を読んで賢明になれるのは、本を読んだから賢明になるのではなく、元から賢明な人間だったからである。確かに何がしかの知識は増える。教養らしきものも増える。少なくとも後に他人に人生訓らしきもの、蘊蓄らしきものを垂れることはできる。だからと言って賢明になったと言えるのか。私にはどうもそうは思えないのである。本を読んでたかだか出来ることは、自らの興味や資質や状態や本当の自分らしきものの再確認、将来への予兆、そのまた予感めいたものとしての、将来への自己の投影にすぎないのではないかと思っている。つまり人間は、なるようにしかならないということ。努力できる人間はもともと努力できる人間であり、努力できない人間には努力できないのである。それは、人間に想像できないものは、どう足掻いても想像できないのと同じである。その「出来ない限界」が人間を規定しているのである。先ほどの努力という話に引きつければ、もちろんゼロ1ではなく程度の差というものもある。また技術、方法論、あるいはその訓練の仕方である程度の改善は出来るであろう。だが、その訓練や方法論を思いつける人間とそうでない人間、それを知って自ら課そうと思える人間と端から思えない人間、またはそう思えても実際に実行出来る人間と出来ない人間がいる。三つ子の魂百まで。または、栴檀は双葉より芳し、という。だから、という訳ではないが、書物をどれほど読んだところで人はその分だけ賢明になどは決してならないのである。

 もちろん私は幼い頃から、理屈などなく好きだから本を読んでいたのであり、本を読んで賢明になりたいなどと思って読んでいた訳ではない。それこそ、三つ子の魂百まで、である。だが、その純粋なものにも不純なものが混じってくるのが大人になるということであろうか、いつしか、その理屈など超えたはずのものに、どこか打算的な功利的な、不純なものが混じってくる。たとえば私も「どうだ、俺はこんなにも難しい本を、こんなにもたくさん読んでいるんだぞ。偉いだろ」みたいな、どうしようもなく下らない俗物的通俗的な気持ちが今まったく無いかと問われれば、まったく無いなどとは断じて言えない。私も凡人なのである。だから電車の中など、人前で本を読む時には、そしてそれが思想書や学術書に近い、いわゆる「難解そうな」書物であればあるほど、必ずカバーをかけて本を読む。カバーをかけないで、タイトルを人前に晒して本を読むことなど、私には到底できないし、またはそういうことが出来る人間を到底理解できない。通俗的なものであれ、難解な「高尚な」ものであれ、人前でタイトルを晒して本を読むという行為は、私にとって人前で裸になるも同然、自らの貧弱な本質を晒す恥ずかしい行為なのである。その恥ずかしさとは、「どうだ、偉いだろ」などと否が応でも思ってしまうその俗物的な卑しい自分を認めながらもそれを隠したい、自意識過剰な醜さの表れであるというのは百も承知なのだが、どうしても本のカバーだけは外せないのである。カバーを外すというその行為は、異常なまでの自信とコンプレックスと羞恥心を併せ持つ女が、唯一心を開いた男に裸身を晒す行為に等しい、と書けば大袈裟だろうか。いや、大袈裟なんじゃなくて、お前の低俗で凡庸なステレオタイプだよ、と言われればそれまでだが。

 だが、その凡庸な通俗的不純はさておき話を戻すと、最初の不純、つまり本を読めば賢明になれるのではないかという打算的功利的不純だが、いつしか大人になり私の本を読む態度にも、明確にではないが、そういった動機が混じるようになってきた。思うに、世の中の大半の、特に本好きというわけでもない人間が本を読むのは、ほとんどすべての場合、その打算的功利的動機ゆえに、つまり賢明になれる、またはそうなりたいがためではないだろうか。そうだとすれば、私だって本来好きな本を読んで、それで賢明になれる、またはなりたいと思ったところで、それは何ら不道徳な動機でもないし、邪な気持ちでもないであろう。恥じることなどまったくないのである。そのようにはっきりと理屈立てて考えてきたわけでもないが、特にここ十年か二十年ほど、漠然としたそういう思いがあったのは確かである。だが、今、私はここに断言することができる。どれほど書物を読んでも、人は、いや私は、いや矢張り人は、本を読んだからといってそれだけ賢明になることなど決してないのである。人はなるようにしかならない。それに気付くのに私はここまでの歳月を要したということである。だが別にそれが遅きに失したとは思っていない。むしろここまでの歳月を要したからこそ、確かなものだと思えるのであり、今だからこそはっきりと理解出来るものもあるのだ。書物に無用な幻想などはもう私の人生には必要ない。もちろん本は大好きである。これからも読み続けるだろう。だが、何か人生に役立つのではないかと、自分の中にせっせと取り込み、溜め込むだけの行為にもう飽き飽きしてきたのだ。人生の賢明さなど糞食らえだ。どう足掻いても私には私の生き方しかない。大切なのは賢明な人生ではない。満足できる人生かどうかである。満足は満足であり、賢明な満足などないのである。幻想の賢明な人生のためにこれまで溜め込んでしまったものを、そろそろすべて吐き出していかなければ、人生帳尻が合わないのではないかと最近、痛切に思うようになってきたのである。

 最近は少しご無沙汰しているが、行きつけのバーで私は先生と呼ばれている。もちろん予備校の講師だから文字通り先生なのだが、そこのバーテンや馴染みの親しい客に「先生、そろそろ本でも書けばいいのに。先生だったら、さぞ面白いものが書けるでしょうに」などと言われることがこれまで度々あった。無論、お世辞、リップサービスの類にすぎないであろうから「いやいや、私なんかにはとても…」などと軽く流せばよいものを、私はその都度「とんでもない!こんな貧困な心しか持たない私に、人を感動させたり楽しませたりするようなものなど決して書けるわけがありませんよ!」などと本気になって抗弁し、聞く者を鼻白む思いにさせてしまうことがあった。「そういうものを書ける人は、そもそも何か面白いものを書いてやろう、人を感動させてやろうなどと思って書くのではなく、美醜を問わず内面から渾々と湧き出て、抑えても抑えても抑えきれず溢れ出てきてしまうもの、それを一心不乱に言葉にしたためただけのことである。そういう、たとえそれが深淵を覗き込むような慄然とする罪深いものであれ、そのような深い豊かな人を感動させるほどの内面など私は決して持ち合わせていない。私の内面などは本当に貧弱で浅く空虚で…」それは謙虚でも謙遜でもなく本当にそう思うのである。何らかの形で読む者の心の琴線に触れるだけのものを書く人は、矢張り豊穣ともいうべきそういう深い豊かな内面の持ち主であり、またはそうあるべきであり、そんなものなど決して持ち合わせていない自分などがものを書くなど、おこがましいも甚だしい、そういう想いが「本」「作品」「書くという行為」というものに対する私の気持ちの中心にあり、また、私の偉大な作家や思想家への敬意の一つの形でもあったのだ。その想いは現在でも変わらない。

 しかし最近、それはそれとして、何か自分は大きな勘違いしていたのではないかと思うようになってきたのである。本当はそのような偉大な作家や思想家の偉大な作品に触れることが純粋な喜びであるはずなのに、あるいは本当は無意識のうちにそれを求めて読んでいるはずなのに、そこから何か学べるものがあるのではないか、人生に役立つものがあるのではないかという、先ほどの功利的な動機でそれを読んでいる自分に、そしてまた、そのような自分の愚かしさに気付くようになったのである。確かに私は愚かな人間である。これまで、さんざっぱら愚かしいことを繰り返してきた。その挙句、今もなお改心できずに、一も二もなく人が愚かだと呼ぶであろうことを繰り返している。しかし人生は一度きり。先ほども書いたように、賢明な人生などに何の意味があるであろう。繰り返しになるが、大切なのは賢明な人生ではない。満足できる人生かどうかである。満足は満足であり、賢明な満足などないのである。幻想の賢明な人生のために無駄にする時間などはもう残されてはいない。何度も繰り返すが、確かに私は愚かな人間である。だが、そんな愚かな人間でも、こんなにも生きてきたのだから、偉大な作家に遠慮などせず(そもそも、そのような偉大な作家と自分を同列視すること自体、おこがましさの極みではないか)、そろそろアウトプットする側に回ってもいいのではないかと自然に思えるようになってきたのである。

 という訳で、このブログを再開することにします。単にブログを再開するだけで何と大仰な!と呆れないで頂きたい。先ほど、溜め込んだものをすべて吐き出したいとは書いたが、ゲロのようにこのブログを汚すつもりはないので、御安心を。だって、自分の遺書をゲロで汚したい奴はいないでしょ。たぶんこれが長い長い遺書になるのではないかという予感もこめ、せめて伽羅や白檀のような、芳しく格調高い芸術の香りを焚きつめながら、これから長い終わりの始まりを始めたいと思う。

※画像は、放射能により巨大化したバッタの大群が街を襲うという、1957年のアメリカB級映画 Beginning of the End(邦題:世界終末の序曲)のポスター。なんと主演がスパイ大作戦(Mission:Impossible)のジム・フェルプスことピーター・グレイブスである。おはようフェルプス君は前の晩、バッタ退治で大変だったらしい。なお、この画像は自動的には消滅しないが、記事とは直接的な関係はないので、あしからず。


とうに夜半をすぎて 

blue_bottle.jpg


明日も忙しいというのに、とうに夜半を過ぎて
この時間、何をやっていることやら。

本屋でふと、R・ブラッドベリの「とうに夜半を過ぎて」という短編集を手に取り、つらつらと読んでいる。

その第一話は「青い壜」という短編。今から少し遠い未来、人類が開拓し、そして棄て去った火星の、廃墟となった都市を、一人の男が伝説の「青い壜」を捜し求めて、あてのない旅を続けている。

それが何なのか、中に何が入っているのか分からない、ただ伝説の「青い壜」を捜し求めて。

『その部屋を終り、次の部屋を襲おうとベックは呼吸をととのえた。捜索をつづけるのはなんだか恐ろしいような気持ちだった。今度こそ発見できるのではないかと思うと、恐ろしいのだ。捜索が終れば、ベックの人生から意味が失われてしまう。……

計画的に事を運べば、壜を発見するかもしれぬという期待は、ベックの全人生を縁まで満たしてくれるだろう。気をつけて、あまり捜索に熱中しすぎないようにすれば、あと三十年は保つだろう。問題は本当は壜ではなくて、走ったり追いかけたりの捜索そのものであり、砂塵や死んだ町々であり、捜索をつづけること自体なのだということを、自分で自分に認めさえしなければ。』

『人は闇から光へ、子宮からこの世界へと出て来て、自分が本当に求めているものを、どうやって見つけたらいいのだろう。』


私は常々、この世には二種類の人間がいるのではないかと思っている。「青い壜」を捜し求める人間と、そうでない人間。「生きる意味」という病に犯された人間と、そうでない健全な人間。

この小説のベックと、そしてもう一人の作中人物、クレイグという男のような人間。

『いや。クレイグは違う。クレイグはたぶん遥かに幸運なのだ。この世界にあって、少数の人間は動物に似ている。何一つ問いかけることをせず、水溜りの水を飲み、子を産み、子を育て、人生が良きものであることを一瞬たりとも疑わない。それがクレイグだ。クレイグのような人間は少数だが確かにいる。神の御手に包まれ、宗教や信仰を特別の神経のように体内に収め、広大な保護区のなかに生きる幸福な獣たち。数十億のノイローゼ患者にとり囲まれた正常人。彼らの望みは、いずれ自然死を死ぬことだけだ。今ではなく。いずれ。』(『 』内の訳はいずれも小笠原豊樹)

クレイグのような人間が幸せなのは、議論の余地がない。ブラッドベリもクレイグのことは、どこかほのぼのとした好感の持てる筆致で描く。しかし病み悩むのが人間であり、そこから逃れられないのも人間である。その人間存在に対しても、ブラッドベリの筆致は慈しむような優しさに溢れている。

私もまた、どちらかと問われると、青い壜を追い求めるタイプの人間なのではないかと思う。しかも、年をとるにつれ、より乾いた焦燥感を伴うようになってきた気がする。

ひょっとして、もう何度も何度も手に入れてしまったのかもしれない。手に入れた瞬間、その青い壜は青くなくなり、何の変哲もない薄汚れた透明の壜になってしまうのであろう。そんなことを繰り返せば繰り返すほど、その美しい青さから遠去かり、自分の人生は無意味な、薄汚れたざらざらとしたものになっていってしまうのである。

クレイグのような人間が幸福であるのは、100パーセント確かである。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。