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hope / Lars Jansson Trio

『 hope 』
ラーシュ・ヤンソン Lars Jansson (p)
ラーシュ・ダニエルソン Lars Danielsson (b)
アンダーシュ・シェルベリ Anders Kjellberg (ds)
録音1999年8,9月
年末仕事納めは31日、仕事始めも2日からと、今年の正月はただただ慌ただしいだけで、正月らしいことは何一つ出来ずじまい、初詣すら行けなかったのだが、今夜、ようやく一息つき、久しぶりにブログでも更新しようという気になった。
いつ、どういう経緯でそんな言葉を思いついたのか、また、その言葉で象徴される曖昧な想念をなぜ思いついたのか分からないのだが、ここ2、3日どういうわけか頭から離れない言葉がある。それは「きれいに生きる」。
この「きれいに」という言葉に託した意味合い、自分ではかなりはっきりとしたイメージを持っているのだが、なかなか他の言葉では説明しにくい。強いて言えば、「すっきり、凛々しく、あっさり、潔く、美しいさま」とでも言えばいいだろうか。しかも、漢字の「綺麗に」ではだめで、ひらがなで「きれいに」でなければならない。
この「きれいに生きる」、言葉の響きだけで誰もが憧れる生き方であろうが、心の中にいろんなものを引きずって抱えてしまう癖のある私には、特に難しいこと。
というわけで、この正月らしくない正月、せめて世人に倣って一つ、今年の抱負を立てるなどという極めて正月らしい(そして極めて私らしからぬ)ことをしてみる。もちろん、その抱負とは「きれいに生きる…今年をその最初の年とする」。なんだか途方もなく恥ずかしいような気もするが、ふざけているわけではない。
「きれいに生きる」…簡単な人には非常に簡単なことだろうと思う。しかし、難しい人には途轍もなく難しいことなのだ。そもそも、言葉にしただけで、きれいでなくなる。言葉に発しなくとも、心の中に想起すること自体がすでに、きれいでないことなのである。その矛盾をごまかさないで、矛盾を矛盾として抱えたまま、しかもなお「きれいに生きる」ことが出来れば。
そういう想いにぴったり合うジャズをCDラックに探してみた。そして見つけたのが、正月ももう5日も過ぎてしまったが、そのタイトルも実に新年に相応しい、この「hope」である。以前、ある大切な人からいただいたものであるが、これを貰ったときは実に嬉しかったのを今でもよく覚えている。
現代スウェーデンジャズの最高の一枚にして、ヨーロッパジャズピアノトリオ屈指の名盤と言えると思う。ご存知でない方はぜひ。
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- [2009/01/06 05:21]
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私は風 / カルメン・マキ & OZ

『私は風』 作詞:Maki Annette Lovelace / 作曲:春日博文
あまりに悲しい ことばかりで
どこか遠くへ 旅にでようと
ポケットに 思い出つめこみ
ひとり汽車にのったの
汽車の窓の外を 走りぬける
昨日までの私の にがい人生
もう二度と 戻ることのない
この町ともさよならね
あぁ もう涙なんか 枯れてしまった
明日からは 身軽な私
風のように 自由に生きるわ
ひとりぼっちも あぁ 気楽なものさ
あぁ 目をとじて 心もとじて
開いた本も とじてしまえ
あぁ 私は風 私は風
終わりのない 旅を続けるの yeah...
あぁ 私を抱いて 気のすむように
抱いたあとで あなたとはお別れよ
どうせ私は 気ままな女
あぁ 気ままな風よ
胸の奥深く うす紫色の霧が流れる
誰か教えてよ 私の行く先を mm...
見知らぬ町の 街角にたち
人波の中漂う私 明日はどこへ 終わりのない旅
先日から「昔よく聴いた歌」などというカテゴリーを立てて水っぽい懐古趣味に浸り、グダグダ言っているわけだが、どうもよろしくない。昔を懐かしがって何がどうなる?姿勢が後ろ向き。生き方が守りに入っている証拠。守るべき大したものなど何一つないのだが。
分別がどうのこうのとも書いたわけだが、むしろ今日の気分は、分別など糞くらえ! どうせ一度きりの人生、分別臭く小さくまとまって何になる?
てなわけで、どうせ懐かしがるなら、昔を懐かしがるその安直な魂を吹き飛ばすこの歌。私は風。
まだまだ人生、これからが勝負。
↓フルヴァージョン
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- [2008/10/22 05:37]
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気分をかえて / 山崎ハコ

『気分をかえて』 作詞作曲 / 山崎ハコ
ゆううつな毎日をどうしよう
歌をきいても酒をのんでも直らない
いつもの彼のぬくみもほしくない
ザーザー雨降る舗道に一人で泣きたいよ
やさしいことばが ほしいわけじゃない
どうせ ことばだけにきまってるもの
今日は一人になりたいの
みんなどこかへ行っとくれ バイバイ
満員電車にゆられてどこ行くの
うつろな目をして
どうでもいいよな顔をして
きのう一晩遊んでみたけれど
ダメだったよとあんたの顔がしゃべってる
みんなそうなんだよ あんた一人じゃない
うまく気分を晴らした者が勝ちさ
それができないあんたなら
それができないあんたなら バイバイ
ゆううつな毎日をどうしよう
わかってるけどグズグズしていて直らない
このままとじこもって
いるわけにゃいかないが
いくらことばでいっても
ダメなこともあるのさ
なぐさめてもらいたいよな気もするの
グチをこぼしたら笑われるし
そんな弱い私なら
そんな弱い私なら バイバイ
18か19の頃、深夜ラジオから流れたこの歌に当時の私の心は激しくシンクロしてしまった。
そして、この曲の入っているレコードをすぐに買い求めた。「飛・び・ま・す」という、山崎ハコのデビュー作。今からもう30年以上も前の話である。
久しぶりにこの歌を今聴いている。
あ〜、何も変わっとらんじゃないの、おまえ。
ため息、ため息、ため息、ため息。
そうなんだよな、あの頃からずっと、ずっと、ずっと…
何か遠くから呼ぶ声に惹かれふらふらと彷徨ううちに帰り方を忘れてしまい、
永遠に帰れる場所をなくしてしまったようなこの魂。
思えば遠くに来たような気もするが、ふと気づいてみれば、
何一つ変わらないこの風景。
そう言えば、頼まれて一人家庭教師をしている男子生徒がいるのだが、この生徒が、早く大人になるんだよ、と言いたくなるような非常に幼い、というより幼稚なとすらいえる面と、時おり、ぎくっとするほど何もかも見通したような、老成したとでもいえる面を併せ持っており、その彼とは勉強以外のこと、今の社会や、生き方、哲学的なことから、それこそ女の口説き方まで様々なことを話したりするのだが(どんな先生だ?!)、ある時のこと、
「君らぐらいの若い頃、俺は、今の自分の年齢ぐらいの人は、みな分別というものを身につけた、どこか異邦人のように思えたものだよ。そして、自分もいずれそうなるのだろな、と。それがいざこの年齢になってみると、根本的には何も変わっていないような気がする。三つ子の魂百までというが、その通り、いつまでたっても分別など身につかない、相変わらずバカで愚かでいい加減な人間だと思うよ、自分が。」
てなことを私が言うと、それに対して彼、
「先生、それ、分別が身についたんですよ。若い頃は自分がバカで愚かな人間だとそれほど思わなかったでしょ。自分がバカで愚かな人間だと自覚できること、それが分別なんじゃないですか。」
むむむ・・・
いやいや、ほんとにこの仕事をしていると、つくづく教えることよりも教えられることの方が多いと思う。その分、自分はまだまだ子供なんだなと…。ま、そう思えることが、分別なんだと思うことにしよう。
↓ずいぶんおばさんになってしまった山崎ハコの「気分をかえて」
↓こちらはまさしく気分をかえて、香坂みゆきの「気分をかえて」
↓このアルバムの1曲目の「望郷」も聴いてほしい。
いつの間にこうなった 鏡の中には
知らん人 疲れた顔で悲しげに笑ってた
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- [2008/10/12 05:12]
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ラッシュライフ / 伊坂幸太郎

『ラッシュライフ』伊坂幸太郎
父に自殺されたトラウマを持つ青年。彼はある新興宗教の教祖に「神」を見る。だが同じ団体の幹部に、その神の「解体」を持ちかけられる。
リストラされ40社連続不採用記録更新中のさえない中年男は駅前で汚い老犬を拾う。その野良犬は不思議な落ち着きと分別を持ち、彼を奇妙な運命へと導く。
サッカー選手との不倫関係の女性精神科医。お互いの配偶者を殺す計画を練り、相手に妻を殺すよう迫るが、その彼らにとんでもなく厄介な出来事が…。
被害者に無用な心配をかけぬようにと、空き巣に入った家に盗んだ物のメモを残す「心優しき」泥棒。
そして、勝手につながって歩くバラバラ死体。
それらの荒唐無稽な物語りが、少しずつどこかで繋がり、巧妙に織り込まれた一枚の布となり、やがては、大きな騙し絵のごとき世界を形作っていく。
一見無関係な登場人物が出会い、一つの物語りを作る、そのようなタイプの小説を群像小説というのだそうだが、そういう意味では、少し前に紹介した奥田英朗の「最悪」に似ていると言えなくもない。
だが、「最悪」がかなりドライな味の小説なのに対して、こちらの方は実にシュールかつファンタジックで寓話的(読後感は奇妙に似たものがあるのだが)。いたるところに機知に富む台詞が散りばめられ、それがあまりにも決まりすぎていて、少し安っぽい感じがしてしまうのは否めないが、練り上げられた構成の巧みさには脱帽するしかなく、今までの日本の小説には無かったタイプの、非常に新鮮かつ奇妙な香りの、文句なく面白い小説と言える。本好きで、まだ読んだことのない人は是非。
「大きな騙し絵のごとき世界」と先ほど書いたが、それこそがこの小説の最大の狙いで、その意図は文庫本口絵に、有名なエッシャーの絵「上昇と下降 (Ascending and Descending)」が掲げられていることからも分かる。
このエッシャーの「上昇と下降」、「滝 (Waterfall)」と並んで、現実にはあり得ない堂々巡りの奇妙な空間を描いたものだが、「滝」と違い「上昇と下降」は、二列に相対した兵士たちが同じ階段を永遠に上り続ける、または下り続ける、その空しさというか徒労感が、現代の私達の(あるいは私の)生活を如実に象徴しているようで、どこか人生を感じさせ、非常に味わい深い、というよりも、切ない。
そして、これは伊坂幸太郎が小説中でも指摘していることだが、この絵には、永遠の行進には加わらないで、それに背を向ける形で入り口の階段に座る兵士と、その行進をぼんやり見上げる兵士が描かれている。それは「滝」も同じで、洗濯物を干す一人の女性と、そしてそれとは別に、永遠の水の流れをぼんやり見上げる人物が描かれている。
そのことの意味はいろいろ解釈のしようがあろうと思うが、あれこれ書き過ぎると、あまりに無粋になるので、ここではやめておこうと思う。
一つ気になることは、この小説のタイトルであるラッシュライフ。
タイトル頁裏に、すべて日本語でラッシュと読める英単語の lash, lush, rash, rush という4つの語とその意味を掲げるという凝りようだが、ジャズ好きなら、すぐにビリー・ストレイホーンの名曲「Lush Life」や、それを演奏したコルトレーンの名盤「Lush Life」を思い起こすであろう。
そのコルトレーンの「Lush Life」のことは小説中でも取り上げられている。絵を株のように売買し巨万の富を築き、金で手に入れられないものはないと豪語する画商の戸田が次のように言うくだりがある。
「コルトレーンの名演だ。Lush Life。豊潤な人生。いいじゃないか。私は今この瞬間、別の場所で同時に生きている誰よりも豊かな人生を送っている。…」
また、失業者の豊田が明るさと生きる希望を取り戻して終わる小説の最後も、こう締めくくられる。
「ラッシュライフ -- 豊潤な人生。」
確かに lush には「豊潤な、豊かな、みずみずしい」などという意味があるにはあるのだが、また同時に「大酒飲み」という意味もあり、「Lush Life」の歌詞は、簡単に言えば、飲み屋に出入りしているうちに好きになった水商売の女にふられて、飲んだくれるというもの。それ故、ビリー・ストレイホーンの名曲「Lush Life」の意味が「酔いどれの人生」程度の意味であるのは確か。伊坂幸太郎がそれを知らなかったとは思えないのだが。
Life is lonely again
And only last year
Everything seemed so sure
Now life is awful again
A trough full of hearts could only be a bore
A week in Paris could ease the bite of it
All I care is to smile in spite of it
I'll forget you, I will
While yet you are still
Burning inside my brain
Romance is mush
Stifling those who strive
So I'll live a lush life in some small dive
And there I'll be, while I rot with the rest
Of those whose lives are lonely too
何?
結局、お前のことじゃねーかって?
酔いどれの人生。それもいいかもね。
永遠の堂々巡りから抜けるには。
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- [2008/05/04 07:57]
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Holly J / Guy Barker

『 Holly J 』
ガイ・バーカー Guy Barker (tp)
ナイジェル・ヒッチコック Nigel Hitchcock (as / ts)
ジェイソン・リベロ Jason Rebello (p)
クリス・ローレンス Chris Laurence (b)
クラーク・トレーシー Clark Tracey (ds)
フランク・リコッティ Frank Ricotti (vib)
録音1989年3月
桜は終わったが、そのあとにはハナミズキ。
そしてホオジロのさえずりが一段と愛らしく、くっきりと聞こえてくるようになる。そのように毎年、変わらず繰り返されること。それは変わらないことに意味がある。その中で、人は、ゆったりと優しく大らかでいられる。
「変わらなければ!」というのは、ひょっとして文明人の大いなる錯覚?
単なる、とんでもない思い込み?無意識の強迫観念?
今、大切なのは、自分の中の、自然の声に、耳を澄ますこと。
作り物ではなく。
脈絡はないが、久しぶりにジャズを。
『 Holly J 』 -- UKジャズ・トランぺッターの代表格の一人、ガイ・バーカーの1stアルバムで、私の大好きな一枚を紹介したい。
ガイ・バーカー。ワンフレーズで聴く者の心をつかむような、実に雰囲気のあるトランペットを吹く人である。テクニックは相当なもので、ゆったりとした曲でもテンポの非常に速い曲でも、閃きと豊かな歌心にあふれた、息の長い、決して飽きさせることのないアドリブメロディを吹く。曲も、ジャズらしい魅力と粋なかっこ良さにあふれた、実に印象的ないい曲を作る。演奏、作曲の両面において、これほどの実力の持ち主が、日本では少し知名度が低すぎるのではないかと思えるほど。
当時、彼は31才。それまでギル・エヴァンス・オーケストラなどで活躍していたとはいえ、31での初のリーダーアルバムは、この才能と実力の持ち主にしては、かなりの遅咲きと言えるかもしれない。その分、それがこのアルバムを、演奏、曲調、雰囲気のすべてにわたり、若々しく才気走ったブリリアントな面と、ゆったりと穏やかで成熟した面を併せ持つ、実に魅力的な一枚にしているのであろうと思う。
1957年12月26日、ロンドン・チズウィック生まれ。父は俳優でありスタントマン、母は女優。幼い頃から音楽的才能を示し、13才で、幾多の傑出したブリティッシュ・ジャズ・ミュージシャンを輩出してきた NYJO (The National Youth Jazz Orchestra) のメンバーとなる。1975年、英国王立音楽大学 (RCM) に進む。その頃すでに、多くの仕事を抱える売れっ子スタジオミュージシャンであった。RCMを中退後、21でニューヨークに渡り、NYで活躍する数多くの若手ミュージシャンと出会い、共に演奏する。その彼らと初の自己バンドとなるクインテットを結成、イギリスに帰国後、そのクインテットでUKツアーをする。
その後、クリス・ハンターとクインテットを結成し活動する。かたわら、さらに引く手あまたの売れっ子セッション・ミュージシャンとして活躍、ジョージ・ベンソン、スティング、クインシー・ジョーンズなどと共に仕事をする。1983年にはギル・エヴァンス・オーケストラのメンバーとしてレコーディングやツアーにも参加。1980年代半ば頃からは、ブリティッシュ・ジャズの重鎮スタン・トレーシー(ピアノ)の息子であるクラーク・トレーシーのクインテットに正式メンバーとして参加、3枚のアルバムに加わり、その父親のスタン・トレーシーとも緊密な活動をする。その他、ダスコ・ゴイコヴィッチやジョン・サーマンのアルバムにも参加、1988年にはオーネット・コールマンとも仕事をする。
そして、その翌年、満を持したかのように世に出したのが、この 『 Holly J 』 である。
アルバム全6曲中、スタンダードは、バラードの名曲 "It Never Entered My Mind" の1曲のみ。他はガイ・バーカー作曲が3曲。残りの2曲は、アルトとテナーで参加しているナイジェル・ヒッチコックの作品。曲調はハードバップからモーダル、そのすべてが変化と工夫に富んでいて、構成も非常に巧みで、最後まで飽きることがない。
また、メンバーも、ジャズのみならず様々な分野で活躍する個性的な実力派ばかり。ピアノのジェイソン・リベロは最近のジェフ・ベック・グループのキーボード奏者としても有名。かつてはウェイン・ショーターのグループにも参加。来日ツアーでは、ウェイン・ショーターともジェフ・ベックとも、日本に来たことがある。また他に、実力派ジャズメンを起用するスティングのツアーなどにも参加している。
クリス・ローレンスは1949年1月6日生まれの実力派英国人ベーシスト。チック・コリア、キース・ジャレットなどに影響を受け、ジョン・サーマン、アラン・スキッドモア、ジョン・テイラー、ケニー・ホイーラーなど多数のアーティストの作品に参加。最近は、このアルバムにも参加しているフランク・リコッティらとカルテットを結成し活躍中。
そのフランク・リコッティは '60年代からジャズのみならずクラシックやロックなど横断的な幅広い領域で活動を続ける、天才ヴィブラホーン奏者兼パーカッショニスト。参加作品は膨大な量に及ぶ。このアルバムの持つ、みずみずしく爽やかで、現代的な雰囲気は、彼のヴァイブに負うところも大きい。
そして、そういった強者(つわもの)に混じり、ガイ・バーカーと並び刮目すべき演奏をしているのが、1971年生まれ、当時、弱冠18才であったナイジェル・ヒッチコックである。11才で前記のNYJOに参加、その翌年から5年間、首席アルト奏者を続けた彼は、16歳でプロの道に入り、めきめき頭角をあらわし、若くしてトム・ジョーンズやレイ・チャールズら世界中の幾多の有名ミュージシャンのバックで演奏する機会を持った超実力派ミュージシャンである。このアルバムの演奏も、そうと言われなければ18才の手によるものであるとは到底思えないほど素晴らしい演奏で、特にそのテナーはマイケル・ブレッカーをも彷彿させるスリリングで堂々たる見事な演奏である。また、作曲の才能もあり、1曲目と5曲目が彼の作品。特にその1曲目は、リスナーを一気にこのアルバムの世界に引き込む魅力的な作品で、ガイ・バーカーがこれを1曲目に持ってきたのも十分に頷ける。
アルバムタイトルでもあり、このアルバム最後を飾る 『 Holly J 』 はガイ・バーカー作曲の作品で、前年に生まれた彼の娘、Holly Joan Barker に捧げた曲。ゆったりとしたテンポの、情感豊かなワルツで、娘に対する彼の穏やかで優しげな眼差しと愛情がうかがえるような作品。
この、話題にもほとんど上らない隠れた傑作、ぜひ一度聴いてみてほしい。
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- [2008/04/20 05:48]
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最悪 / 奥田英朗

『最悪』奥田英朗
いくら何でもこのままではまずいと思い、ジグソーパズルの空いた箇所に「あ〜面倒くさい。ま、これでいっかぁー」と微妙に形の違うピースを強引にぎゅぎゅっと押し込むように(のんびり楽しむジグソーパズルに、そんなやつはいないか?)仕事のオファーをほいほい受けているうち、今年度の講義スケジュールが、本当にぴっちり嵌ったジグソーパズルのような事態になってしまった。結果、超多忙であった昨年、一昨年よりもさらに忙しくなりそうなこの一年。
これで経済的には最悪の事態は避けられそうなわけだが、というよりもむしろ、悪魔にむしり取られた分を(あくまでも私の心の中に住んでいた悪魔だが)一気に稼ぎ出せそうな勢いなのだが…。
果たしてこれで良かったのか?
どうしても埋めることのできない空虚感、生きることの無意味感、何かざらざらっとした砂のような日常感、消すことのできない「自分の人生はこのままでいいのか?」感、それらはまだそのままに残ったままなのである。ああ、まだるっこしい日本語。英語で言えば、They are left intact there. ま、そんなことはどうでもよいのだが。
それを、経済的にあえぎながらも、じっくり考え、見つめ直すつもりでいた。のだが…。
って、お前、ほんとか?
まずいと思い、焦って、ばたばたっと仕事を入れたのは一体誰だ?誰でもない、この自分だ。経済的にまずいというよりも、ぽっかり空いた時間と心の穴がさらに最悪な事態を招くのが怖かったからなのかもしれない。
で、それで本当に良かったのか?
この時代、それだけ仕事があるだけましだと謙虚に受け止め、ごちゃごちゃ考えずに、ただ黙々と働くべきなのか?
黙々と、というわけにはいかないであろうが、受けてしまったものは仕方がない。結局、また、ゆっくり風景を眺める暇もなく、この一年を走り抜けることになるだろう。これまでと同じように。
本当にそれでいいのか?
ひょっとして、それでいいのかもしれない。良くないのかもしれない。
そんなことすら分からないまま、また日常に流されようとしている。
冒頭に掲げた奥田英朗の『最悪』。
その「最悪」という、ほんとに最悪そうなタイトルに釣られて買った小説であるが、「ひどい、恐ろしい」という意味を持つ terrific という英単語が、同時に「最高!素晴らしく素敵!」という意味を持つように、確かに「最悪」な小説であった。
その日暮らしのどうしようもないチンピラで、トルエンをめぐり本物のヤクザに追われる和也。不況にあえぎ、取引先の無理な注文に追われ、近隣とのトラブルに頭を悩ませながら、銀行の危ない融資話に乗り、一か八かの事業拡大を試みる小さな町工場社長の川谷。家出の妹を抱えた家庭問題や、職場でのセクハラに悩む銀行員のみどり。最初はゆっくりと、やがて坂を転がり落ちていくように、それぞれの「最悪」へと向かう三人。その三人が出会った時、「最悪」な運命は、さらに「最悪」な、とんでもない方向に…。
この奥田英朗は、かなり好きな作家であるが、この『最悪』はとりわけ好きな作品だ。「最悪」を経た者だけが持つ、あっけらかんとした奇妙な明るさ。生きてさえいりゃ、あとのことはどうでもいい。些細な取るに足りぬことに過ぎぬ、という…。どうにでもなれ、それが人生、という…。
結局、「最悪」を避けたのだろうか、私は?
果たして、それで本当に良かったのか?
辛子蓮根のように、心の穴に仕事を隙間なく埋め込み(比喩がちょっとおかしいな。ま、いっか)、また何かを誤摩化し、棚上げにしたにすぎないのではないか?そういう疑問が消えない。
そういう意味では、彼女はやはり悪魔ではなかったのだろう。悪魔でいてほしかった。
って、何を埒のあかんことを言ってんだろうね、俺は…。甘いわ。
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- [2008/04/11 04:11]
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la bella vista / Harold Budd

『 la bella vista 』 Harold Budd
花冷えの、雨の日曜日。
悪魔と手を切る。やっとのことで。
おびただしい量の血を、ではなく、おびただしい数の1万円札を流した果てに。
すっかり魂を抜かれ、もぬけの殻も同然のこの私の脆弱な精神に、いまだ付きまとい、巣食っていた悪魔。髪の長い、本当に美しい悪魔だった。
もとより、神や悪魔とは人間の脆く、弱く、邪(よこしま)な精神が生み出したもの。内部にのみ巣食うものを客体化し、切り離すことにより、己の愚かさと責任を誤摩化そうとする狡猾な精神の所作にすぎない。彼女は単に、とてもとても美しく、お金とお金のかかる物が大好きな一人の女性にすぎなかった。それを悪魔にしたのは、誰でもない、私の心である。
それも、もう終わりにした。
目が覚めた、とか、改心した、とか、そういうのとは少し違う。
膿んだ自分の心に倦んだ、という感じだろうか。
最近、Harold Budd ばかり聞いている。
やはり病んでいるのか、病んでいないのか。
この 『 la bella vista 』 は、ひたすら耽美的で幻想的な Harold Budd の他の諸作品と比較しても、とりわけ、澄みきった水面のわずかなさざ波のような静謐な美しさに満ちたピアノソロ作品集。
前回の 『 Avalon Sutra 』 といい、この 『 la bella vista 』 といい、あまりに聞きすぎると、魂がこの世に帰ってこなくなる恐れあり。
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- [2008/03/31 03:40]
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Avalon Sutra / Harold Budd

『 Avalon Sutra 』Harold Budd
すでにクレジットカード3枚すべて、ショッピングとキャッシング双方の枠で限度額一杯に張り付いている。さいわい、まだサラ金には手を出していない。
銀行の残高は現在1万と少し。財布の中は3520円。これから月末にかけて銀行から落ちる金が22万ほどある。しかし月末まで給料は入らない。
そして呑気にこんなブログを書いている自分がいる。または、そんな自分をぼんやり眺めているような自分がいる。どうして自分はここまで自分を追い込んでしまうのか。
生きる張り合いがまるでない。仕事は何とかこなしてはいるものの、work ではなく完全に labor と化している。
生きがいがない人は、ある人に比べ、病気などで死亡する割合が1.5倍に高まるのだそうだ。1年前そんなニュースがあったのを思い出す。確か東北大学の医学チームの研究か何かだ。
だからと言って生きがいなんぞ無理に持とうとは思わないが、この心の空洞は何かで埋めないと毎日がつまらなくて味気なくて仕方がない。
いつもいつも青いうっすらとした悲しみがある。この Harold Budd の Avalon Sutra のような。完全に向こうに行ってしまえば、戻って来れない。
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- [2008/03/21 04:48]
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照柿 / 高村薫

「人生の道半ばにして
正道を踏み外したわたくしは
目が覚めると暗い森の中にいた」
ダンテ『神曲』地獄編1・1〜3
プロフィールに「スローペースかもしれません。 のんびり、ゆったりとお付き合いいただければ幸いです」などと書いているのだが、これではあまりにもスロー、まるで上映してすぐに映写機が壊れ、カタカタという音ともにコマ速度が徐々に落ち、そのうちぴたりと止まってしまった古いつまらない映画のよう。それでもぱらぱらといた観客も、どうなってんだ?どうなってんだ?がやがやとしばらくは待つものの、待てど暮らせど再開しない映画、あ〜、なんだ、なんだ、せっかく来てやったのに面白くね〜、帰ぇろ、帰ぇろと一人去り、二人去り。…そして誰もいなくなった伽藍のようながらんとした館内に、深夜、ふたたび映写機の音がカタリ……カタリ……カタ…カタ…カタ・カタ・カタ・カタカタカタ・カタタタタタttttttt……。
最後の記事を書いてから11ヶ月。
実はこの間、1500万ほど金を使った。正確に言えば9ヶ月ほどの期間。何に使ったかというと、まぁ、これがありがちなことで…水商売の女と酒。
ほんとにバカだねぇ、いやぁ、多少賢い振りはしてても、ここぞという時にここまで自分がスマートで賢明な選択をまったく出来なくなるバカで愚かな男だとは…まぁ、薄々自分でも分かっていたのだが、それにしても、ここまでバカだったとは…。
「小人閑居して不善を為す」と言う。
けっして閑ではなく、むしろ目が回るほど忙しかったのだが…。
英語の諺では "The devil finds work for idle hands." という。
他に "Idleness is the mother of all evil." とか、
"An idle mind is the devil's workshop." などとも。
これなんかもきついね。"By doing nothing, we learn to do ill."
なんでこうなったのか、自分の阿呆な精神の軌跡は自分でも不思議なほどクリアに意識している。一昨年の暮れ、結婚まで考えた女と別れたことが原因といえば原因だが、むしろ大きいのは、それが発端となり、それまで自分にとってあやふやだった「生きる意味」、というか、その無意味、いつもつきまとう漠然とした空虚感、それが一気に大きくなり、自分で誤摩化せなくなったこと。
だが、賢い者はこう問うだろう。「それは分かるけど、じゃあ、なぜ女と酒?」
根が賢い人には分からないだろうと思う。そこが小人の小人たる所以。(「しょうじん」と読む。「しょうにん」または「こびと」ではない。)
冒頭のダンテの言葉は、高村薫の「照柿」という小説の巻頭にエピグラフとして引用された言葉。この小説は、上記の1500万のうち半分以上を散財させた或る女(と、こう書けば彼女に失礼であろう。すべて自らの自由意志で散財したのだが)と知り合った頃に読んでいた、今でも忘れ得ぬ小説。
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- [2008/02/25 10:44]
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空中スキップ / ジュディ・パドニッツ

『空中スキップ』ジュディ・パドニッツというアメリカの新進気鋭の女性作家による、全23話からなる処女短編集。岸本佐知子訳(マガジンハウス)
前々回の記事で岸本佐知子さんに触れ、それに対して頂いたねこあじさんのコメントをきっかけに知った作品ですが、これ、間違いなく私の本年度第一四半期ベスト1です。ねこあじさん、ありがとうございます。
ジュディ・パドニッツ --- 1973年マサチューセッツ州ニュートンに生まれ、ジョージア州アトランタで育つ。ハーヴァード大学を卒業後、ニューヨーク大学在籍中に発表した本書『空中スキップ (Flying Leap) 』で高い評価を受け、翌年の長編『イースターエッグに降る雪』はオレンジ賞最終候補、そしてその後の短編がO・ヘンリー賞を受賞するなど、今、非常に注目される作家。
「妄想力にもほどがある」-- 本書の帯のキャッチコピーですが、ほんとにそう言いたくなるほどの妄想力、というか空想力です。いったい何を食べたらそんな発想が湧いてくるのか、ほとほと不思議に思えるほど。全23話、そのすべてが一見シュールで奇妙きてれつ、荒唐無稽な話ばかり。
特に最初の数話はブラックな味も強く、この手の小説を読み慣れていない人は少し抵抗があるかもしれません。しかし、1話、また1話と読み進めていくうちに、何か、何とも名状しがたい、切ないような懐かしいような優しいような悲しいような、ほのかな或る感触に気づき、それが後半ぐらいになるとどんどん強まり、もう彼女の世界から抜けたくなくなるような気分になってくる。どういう感じかというと、夢、それは後で思い起こすと荒唐無稽で奇妙きてれつなことばかりですが、しかし、だからと言って嘘っぱちの世界なのか、断じてそうではありませんよね。目覚めてからも、何か懐かしい切ない気持ちが満ち満ちていて、それが、現実の世界以上に、紛うことのない真実の在り処を教えているようで、いつまでも夢の淵にぐずぐずしていたいような、そんなこと、ありません?
この彼女の作風、訳者の岸本佐知子さんのあとがきによれば、最近アメリカの文学界で台頭してきたアンリアリズム(シュールリアリズムではなく)という流れのもので、ジュディ・パドニッツは、その強力な担い手なんだそうです。とにかく文章がいい。簡潔で分かりやすく、乾いていて、それでいて同時にしっとりとした感触を持ち、時々現れる遠慮がちな比喩は、はっとするほど瑞々しく、美しい。(その同じ文をその場で10回ぐらい繰り返して読むことも何度かあったほど。)
しかし、彼女の小説のこの魅力は、どこにあるのか。この『空中スキップ』の、私を引きつけてやまない魅力の中心は何なのかを考えてみると、それは、単に文章の巧さ、小説としての上手さ、テクニック、文体などというものではなく、彼女の心の中にある「何か」であるような気がします。岸本佐知子さんも、あとがきの中でこう述べています。「だが彼女は単に奇抜な話の語り部というだけではない、もっと切実な想いに突き動かされるようにして書く人であるように、私には見える。」いたく同感です。
最後ですが、岸本佐知子さんの訳、ほんとうに素晴らしいです。この『空中スキップ』の魅力の半分は、この人の翻訳の力によるものだと思う。
この、奇妙でシュールでブラックで、そして切なく悲しく懐かしい、このパドニッツ・岸本ワールド、ぜひぜひぜひ、あなたにも体験してほしい。
ここからは余談ですが、ずいぶん以前のこと、どこのサイトだったか忘れたのですが、日常のちょっとした面白おかしな妄想を投稿するというコーナーがあり、これがやたらと面白く、夜中コンピューターの画面に向かい、一人クスクス、ケラケラいつまでも笑っていたことがあります。(自由律を一句。「ネット見て一人笑う夜」。尾崎放哉の有名な句「咳をしても一人」に匹敵するほどの無限の哀愁と寂寥感が漂っていて、自分で書いておきながら、たまりません。)
閑話休題。
その妄想コーナーに寄せられていた話は、もうほとんど忘れてしまったのですが、一つだけ折に触れ、いまだに思い出すものがあります。昔、クローネンバーグの映画に、他人の思考をスキャンし、コントロールし、破壊すらしてしまう力を持つ人間を描いた「スキャナーズ」という、とても恐ろしい、そしてとてもファンタスティックな映画がありましたが、電車に乗って座席に座っていると、ふと、車内の乗客に超能力者がいて、自分の心を読んでいるのではないかと妄想し、不安に駆られるというものです。
時々、人がけっこう乗ってるのに、車内が妙に静まり返っていたりする時がありますよね。シラ〜ッとしたあの雰囲気。すぐれて日常的な風景の一つでありながら、どこか空恐ろしい狂気をかすかに孕んでいるような、ざらついたあの静寂。その中で人はそれぞれ自分だけの世界に浸り、腕をくみ、うとうと居眠りをしていたり、宙を見つめ考え事をしていたり、ケータイをいじっていたり、本や雑誌を読んでいたり、ぼんやり車内広告を眺めていたりするのですが、そういった雑多な者の中に混じり、一人こっそり私の心を読み、ほくそ笑んでいる者がいるとしたら…
そういうプチ妄想は誰もが一度や二度抱いたことがあると思います。しかし、先ほどの投稿の氏は、あまりの不安に、たとえば目の前に座って何気なく膝の雑誌を読んでいる女性が「スキャナー」でないかどうか、いちいち確かめなければ気が済まないのです。確かめると言ったって、どうやって?それは、その人に向かって、心の中で言うのです。「鼻毛、出てるよ」
「スキャナー」であれば思わず手を鼻のところにもっていくはずです。それほど「鼻毛、出てるよ」というのは不意をつく「恐ろしい」言葉なのです。
で、何も反応がなければ、とりあえず、その人は「スキャナー」ではないということで、今度はその隣に座っている人に心の中で念じるのです。「鼻毛、出てるよ」と。そうやって、ひとわたり車内の全員に「鼻毛テスト」を試し、一人も反応しないことを確かめてやっと彼はホッとするのですが、その頃にはもうくたびれ果てて、ぐったりしている。だって、車内の全員に強力な念波を一人必死で送っているのですから。
この話の恐ろしさは、これを単に笑って済ますことができないところにあります。だってあなた、次の日、電車に乗った時、偶然向かいに座った人に心の中で「鼻毛、出てるよ」と言わないで済ませられます?絶対に無理ですよ。この話を思い出したら、必ず心の中で言いたくなります、「鼻毛、出てるよ」と。必ず言いたくなるはずです。この話を思い出したら、必ず。それも、一人や二人ではなく、車内全員にやらなければ気が済まなくなる。「鼻毛、出てるよ」「鼻毛、出てるよ」「鼻毛、出てるよ」「鼻毛、出てるよ」と。しかも、一人一人の頭の中にクリアにはっきり聞こえるように、心の中で鮮明に。
そして、はっと気づくのです。「鼻毛、出てるよ」「鼻毛、出てるよ」「鼻毛、出てるよ」と次々と人に念じるという、なんとも馬鹿馬鹿しい滑稽なことを心の中で繰り返している、まさにその時、その心を読まれたら…と思うと…。…いや、もっと恐ろしいのは…そんな時、ふと心の中に誰かの声が聞こえたら。「鼻毛、出てるよ」と…。
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- [2007/03/18 07:45]
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